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マンイーター(投稿者深海めい氏)


「ねぇ、不思議よね……」
 私は風になぶられて広がる髪の毛を押さえながら呟いた。
 声は、吹き付ける風よりも冷たい。
「つい昨日までは、私たちは心から愛し合っていたのに……こうして向かい合っている今は、お互いを憎みあわなければならないなんて……」
 見据えた相手の表情は、夜闇のせいで伺えない。悲しんでいるのか、怒っているのか、あるいは……私の事を、嘲笑っているのか。
 昨日まで、確かに気持ちを通じ合わせていた男は、刀を手に、無言で私の前に佇んでいた。
 うっすらと月明かりを反射するその刃には、特殊な呪言が刻まれている。
 私を……人喰いを斬る為の呪言。力を秘めたそれは、人喰い斬りの刀だった。
 単純な構図だ。私は人喰い。彼は人喰い狩り。――相容れないもの。
 敵対は必然だった。それでも。
 ――私は彼を愛していた。心から愛していたの。その気持ちに、嘘偽りなんて欠片もなかった。
「馬鹿よね、私。……あなたが人喰い狩りだということも知らずに、のんきに騙されて、本当に、おかしい」
 自嘲の言葉しか出てこない。
 私は、この男が私の天敵だとは知らずに愛してしまった。
 ――この男は、私を騙していた。私を愛しているといったその口で、自らが人喰い狩りだと告げたのだ。
 彼は、今まさにその無慈悲な刃で私を狩ろうとしている。彼にとっては、私との事なんて、人喰い狩りとしての仕事でしかなかった。
 私の事を好きだといった言葉は、全て私を捕らえるための、罠だった。
 その暖かい手も、抱きしめられた時の優しさも、全部、全部嘘だった――
「あなたは私を笑うでしょうけど、私はあなたを愛していたの。あなたという人間がいたから、人を喰らう事をやめたし、満たされる事が出来た。……だけど」
 人を喰らわなくなって既に一年。人を喰らう事でしか生き長らえないこの体は、既に限界に近づいていた。
 このままだと、後数ヶ月もしないで死ぬ。――最後まで彼が騙してくれてれば、それでも良かったのに。幸せな気持ちで、死ぬことが出来たのに。
 どうして、最後まで夢を見させてくれなかったの?
「あなたがいなければ、私は満たされない――だから、私はあなたの血肉を喰らい、あなたと永遠に一つになる――!!」
 私は慟哭めいた言葉を吐くと同時に、地を蹴った。
 衰弱して上手く動かない体を、限界まで加速させる。目の前の男を、永遠に自らのものにする為に。
 彼の血肉は、どんなにか甘い味がするだろう。
 その肉を食べれば、私はずっと満たされていられる?
 埋められないあなたとの距離を、なくす事が出来る?
 上段に構えた彼の白刃が、ゆらり、と動いた。この時になって初めて、彼の瞳が私を見据える。私はその瞳に、ぞくぞくするような寒気すら感じた。
 私は彼のこの瞳が好きだった。何者をも切り裂くような鋭さを持ちながら、私を見つめるその時だけ、穏やかに緩むこの瞳が――
 綺麗だったわ。私を狩ろうとしている今も尚、彼の瞳は氷を封じ込めたかのように綺麗だったの。
 白刃が翻る。振り下ろされたそれを、私は伸ばした爪で受け止めた。だが彼の特殊な力に満ちた刃は、私の爪など簡単に斬り落してしまう。私は止めきれなかったそれをかがんでやり過ごした。
 もう長い間人を喰らう事をやめたこの体には、あの刃を受け止めるだけの強度を持つ爪を生やせない。私は歯噛みしたが、思い立って髪の毛を数本引きちぎった。指に巻きつけしならせると、それは何者をも切り裂く鋼糸と化す。
 彼の刀に刻まれた呪言がうっすらと光る。まるで、私を今にも切り伏せたいと、刀自身が訴えているかのように。
 私は、笑みを浮かべていた。
 彼も、酷薄に笑んでいた。
 私たちは似たもの同士だ。きっと、闘いを好むという点で。私は今そのことに気が付いておかしくなった。……私が彼を心から愛してしまったのは、恐らく無意識で彼の本性を見抜いていたからかも知れなかったから。――何かを殺めることでしか、己が身を立てる事が出来ないという、業深き生き物の本性を。
 鋼糸をしならせる。右手の指に巻きついたそれぞれはまるでそれ自体が別個の生き物であるかのように彼を切り刻まんとする。一つを避けても他の何本かは間違いなく彼を切り裂くと思えた。
 だが彼の動きも速かった。空間が幾筋も銀色に裂かれたかと思うと、次の瞬間には私の髪の毛が数本、力を無くして空を舞っている。
 だがそれはおとりだ。
 私は鋼糸を操りながらも既に駆けていた。刀の間合いが生かせない場所――彼の懐に飛び込むために。
 左腕を振る。爪が瞬時に生えた。私はそれを勢い良く振り上げて、彼の喉元を狙う――

 決着は、本当に一瞬だった。

 彼が私の放った鋼糸を全て切り落したその返し刃で、私の横腹を切り裂くのと、私の爪が彼の胸を切り裂くのと。それは、全く同時だった。
「かはっ……」
 体が灼熱する。痛いというよりも、それは熱かった。
 体がぐらりとくずおれる。汗がどっと噴出す。続いて襲ってくるのは、強烈な失血。立っていられない――
 だがそれは私だけではなかったようで、彼も、胸から血飛沫をあげながら私に向かって倒れてくる。彼から溢れた血液が、私の体をべっとりと濡らした。
 人喰いとしての本能に揺さぶられ、無意識に、指が彼の血をすくう。私はそれを舐めとっていた。
 何て、甘くて――
 何て、暖かいの――
 気が付いた時には、彼の傷口を無我夢中で舐めていた。一口舐め取るごとに、言いようの無い快感が全身を駆け抜ける。
 彼の血が、私を満たしてくれる。どうしようもなかった渇きが、癒されていく――
 近くに感じる彼の匂い。空腹を満たす彼の命。
 いつまでもずっと感じたかった。
 彼の手から刀が零れ落ちる。私の体にもたれかかっていた彼は、ぜいぜいと荒い息をつきながら私に向かって微笑んでいた。
 ――何故?
「やっと、人を喰らう気になったか」
「――!!」
 低くて、吐血まじりの声は、もはや声とはいえない程に掠れていて、常人の聴覚では聞き取れなかっただろう。だけど私は人喰い。人よりも優れた身体能力を持つがゆえに、彼のかすかな声を、聞くことが出来た。
 彼は、満足そうだった。私を見つめる瞳は、かつての慈愛に満ちていて……お互いが、一緒にいることで満たされていたその時のものだったの。
 どうして、そんなにも穏やかに笑ってくれるの? どうして――人喰いである私を騙して、捕らえて、人喰い狩りの勤めとして殺そうとしていたんじゃなかったの?
「――君が人喰いだと知った時、俺は自分の運命と愚かさを呪った。君は、俺を愛してくれたが故に人を喰らう事を止め、命をすり減らしていった……そして俺は人喰い狩り。もしこの事が知れたとき、君は俺を憎み、離れていくだろう。俺はそれが、耐えられなかった……」
「……」
 彼の、血に塗れた手が、力なく私の頬をさすった。血に酔いしれていながらも私は、その声を呆然と無意識で聞いていた。
「――こうすれば、君は俺を喰らってくれると思った。俺は人喰い狩りとして君と敵対せねばならない運命から解放され、君は血肉を喰らう事で生き長らえる。俺の血肉は君の一部となり、君が死ぬまで君の中で生き続ける」
「あ……」
 そこまで聞いてやっと、私の意識が全てを理解した。
 全ては、私を生かすため? 私と共に生きるため?
 私に正体を明かして、恨むように仕向けたのはこの為だったの?
「斬ってしまってすまない。何分、君が相手だ。本気じゃないと、ばれてしまうだろう? 急所ははずしてあるから、俺を喰らえばいくらでも回復できる」
「……そんな」
 声が掠れる。この男……何て……何て馬鹿なの?
「私に、あなたを食えと……」
 呆然と呟いた彼の頷きは、力強かった。
「そうだ。……俺たちは所詮相容れぬ定め。今こうしなくても、いつかは必ず憎み合うようになっていた。それだったら、君が死ぬ前に決着をつけたかった」
 彼の瞳から、急速に光が失われていく。私は、いつしか、泣いていた。
 嬉しくて、苦しい――
 彼に愛されている事が、たった今証明された――
 でも、私はこの手で彼を……
「さあ、俺を喰らうんだ。そうすれば、俺は君と共に生きられる」
 声はもう、ほとんど聞こえない。彼は、死ぬ。
 私が殺す。そしてこれは、人喰いである私と、人喰い狩りである彼の、半ば決定されていた運命だった。
 私と彼は、結ばれない。どこまで思い合っても所詮、相容れない関係。
 でも、彼の言うとおりなら、私たちは永遠に一つになれる――?
「俺は、君の中で生き続ける。……だから、君は俺を喰らい生きるんだ」
「……あなたと、一緒?」
 呆然と呟く私に、彼は頷いて、口付けた。
「そうだ、一緒だ」
 途端、彼の首から力が抜け落ちる。
 瞳を閉じた彼は、もう目覚めなかった。二度と……
「あ……」
 私は暫く、叫ぶように慟哭していた。
 彼はもう、目覚めない。もうその手で私を抱いてくれない。そのぬくもりを感じる事が出来ない――
 残された体は、まだこんなにも温かかなのに。まるで、今にも彼が目覚めて笑ってくれるんじゃないかと思えるくらいに。
「ヒトツニナレル? イッショニイラレル?」
 答えは、もう返ってこない。
 私はそれを、無心で貪っていた。一欠けらも残さず、全てを私の中に取り込んだー―
 一口喰らうごとに、彼と一つになれるような気がした――
 満たされていく。体が。暖かい。感じる――彼の命を。
「あははははははははははは」
 満たされていく思いに、いつしか私は高らかに笑っていた。

 私は人喰い。人を喰らって生きていく。
 喰らったものと共に、無限の時を生きていく――


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