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まわる(投稿者けんさん氏)


 まわる、まわるよ
 くるくる、くるくる
 いつまでも
 いつまでも
 くるくる、くるくる
 まわるよ


 いつからだろうか。
 そんな夢を見るようになった。
 奇妙な歌が聴こえる夢。
 聴いたことが無いようで、どこか懐かしくも思える旋律。
 だけど、なぜか気味が悪い。
 何が「まわる」のかは全くわからない。夢の中の俺は、何も見えない真っ白な空間で、ただ膝を抱えてその歌を聴いている。
 その歌詞が何を意味するのか。
 フロイトの説を信じるならば、夢に見る以上、それは俺の体験から出たもの。過去の俺が耳にした、あるいは何かしらの深層心理が聴いたことのある旋律をつなぎ合わせて作り上げた歌。
 一年前くらいにそれを探ろうと試みたが、結局上手くはいかなかった。
 当時は毎日見るわけではなかったので、特に気にしないでそのままにしておいたのだが、最近、その夢を見る頻度が上がったような気がする。
 今月に入ってからは、ほぼ毎日のように見るようになった。
 もうすぐ誕生日だというのに。


 まわる、まわるよ


 いったい何が「まわる」のか。
 それは再び俺の好奇心を刺激していく。
 好奇心?
 違う。
 これは――焦りだ。
 俺は確かに焦っている。
 一年前にはなかった感情。
 夢の中でその歌を耳にする度に。現実世界でそれを思い出す度に。
 言い様のない焦燥感が背中を突いてくるのを感じる。
 俺が、己がそんな夢を見る原因は、その「焦り」にあると考えるのは当然の帰結だろう。
 では何が俺を焦らせるのか。
 その問いを解くカギは二つ。
 一つは、歌詞の中に頻繁に出てくる「まわる」という単語。
 夢の中の俺は「まわる」という言葉に過剰な反応を見せている。それは確かだ。
 二つめは、なぜ俺はそこまで「焦る」のか。
 これは重要なヒントと成り得るだろう。
 その答えを導き出せれば自ずと「まわる」の意味も明らかになる。そんな気がする。
 まずは「焦り」の原因を探ってみることにしよう。
 なぜ「焦る」のか。
 はっきり言って身に覚えがない。
 普通の高校を普通に卒業して、これといった目標もなく二流の大学に入った俺の人生は平凡そのもの。過去の俺が何かしたなんて記憶は当然ながら無い。
 小さい頃にそこそこの悪さはしたが、少し元気の余っている子供なら誰でもやってそうなことだ。
 思えばあの頃が一番楽しかった。
 実家はそれほど発展した町ではなかった。
 今は、駅前などはそれなりに賑わっているようだが、俺がそこらを走り回っていた頃は、駅前に古い造りの商店が立ち並ぶ、どこか下町のような雑多な賑わいを見せる町だった。
 育ったアパートは、築二十年は優に越していただろう。裏手の土手を駆け上がると、駅から続く線路が川沿いに伸びている。
 そういえば子供の頃、夕方になると毎日のように土手を登り、目の前をスピードを上げて過ぎていく電車を眺めていた。今思えば何がおもしろかったのか、と思うが、当時の俺はそれが日課だった。
 日が落ち、友達と別れ、家に帰って夕飯を食べる前に土手を登る。
 この事は俺だけの秘密の楽しみ。
 子供は何か秘密を持ちたがる。
 俺の行動も、電車を見るという行為よりも、何か己だけの秘密を持っている、という事が楽しかったのではないか、と思ったりもする。
 親にも、一番仲の良かった「てっちゃん」にも秘密だった。
 その「てっちゃん」は事故で死んでしまったけども、生きていれば今でも親友と呼べる間柄だっただろう。
 葬式に参列した時、ただただ泣いていた記憶がある。


 まわる


 ――なんだ?
 今……何か……。
 そうだ。俺はしきりに「ごめんよ、ごめんよ」と。
 事故……「てっちゃん」が巻き込まれた事故はなんだったか。
 思い出せない。
 その前後のことははっきりと覚えているのに、なぜか「てっちゃん」が死んだところだけが穴が開いたように記憶から抜け落ちている。
 どういうことだ……。
 少し、落ち着こう。
 あの日――そう「てっちゃん」が死んだ日。
 あれは俺の誕生日だった。
 世間一般の子供の例に漏れず、俺も毎年くるそのイベントが楽しみだった。
 勤めに出ていた母親が、その日ばかりは仕事を早めに切り上げ、ケーキを買って帰ってくるのだ。
 忙しい父は無理だったが、母と二人でいつもより少し豪華な夕食を食べ、その後にケーキに刺さった蝋燭に火を灯す。
 部屋の明かりを消し、ハッピーバースデートゥーユー、と母が歌ってくれた後、俺はそれを吹き消す。
 一瞬、真っ暗になった部屋に電気がつくと、俺の目の前にはプレゼントが置かれているのだ。
 その瞬間がとても好きだった。
 だが、あの日。
 そう、「てっちゃん」が死んだ年の誕生日は、母にどうしても外せない用事――父の上司の葬式だったか――ができてしまったのだ。
 お誕生日のお祝いは明日しようね、と俺に言い残し、家を出て行く母の背中を泣きながら見送った記憶がある。
 それでも俺はあきらめきれずに、もし電車が動かなければお母さんは家にいてくれる、と。ひょっとしたら母の乗る電車が動かないかもしれない、と。
 そう願って、それを確認するために土手を登って……登って……どうした?
 ここも抜け落ちている。
 俺は電車を見送ったか?
 泣きながら土手に登った事は覚えている。
 その後、部屋で膝を抱えて泣いていたのも覚えている。
 なぜか電車を見送ったところだけが思い出せない。
 誕生日を祝ってもらえず、「てっちゃん」が死んだ、あんなに印象的な日だったのに……。
 何か手がかりはないか。
 子供の頃を思い出すような手がかりは。
 そうだ……「てっちゃん」の写真を見れば何か思い出すかもしれない。
 親友だったのだ。
 写真を見れば。「てっちゃん」の顔を見れば。
 確か押入れの奥に卒業アルバムが……あった。
 集合写真に「てっちゃん」の写真があるはず。
 ページをめくろうとして気づいた。
 何か挟んでいる。
 これは……新聞の切り抜き。電車の脱線事故の記事だ。
 日付は俺の誕生日の翌日。


 まわるよ


 ああ、これは……「てっちゃん」が死んだ日じゃないか。
 母が俺を置いて出かけ、「てっちゃん」が事故に巻き込まれたあの日。
 こんな事故が起きていたのか。
 思い出した。
 あの夜、母が非常に疲れた顔で帰ってきたのだ。
 乗り遅れたから良かったものの、乗る予定だった電車が脱線事故を起こした、と。助かったのは良かったが、遅刻しそうになって急いでタクシーを拾った、と。
 そうだ。「てっちゃん」の訃報を聞いたのはその翌日だった。
 登校して、教室に姿が見えないことを不審に思っていたら、先生が、皆さんに悲しいお知らせがあります、と泣きながら告げてくれたのだ。
 ということは、「てっちゃん」が巻き込まれた事故とはこの脱線事故のことか。
 そう考えて間違いあるまい。
 だから俺はこの記事をアルバムに挟んで保管していたのだ。
 いや、おかしい。
 あの時、土手に登った俺はその事故を見ていたはずだ。
 記事によると、駅を出てすぐ。うちの裏手辺りで脱線したらしい。
 母が乗る電車を見ようとしていたのだ。目の前で起こったその事故を見ていないはずが無い。
 その事故に「てっちゃん」が巻き込まれた。
 そんな時間に独りで電車に乗るわけが無いし、だとすれば……。
 あの時、「てっちゃん」も土手にいたのか?
 いや、その場にいた俺が無事だったのだ。「てっちゃん」が死ぬほどの怪我を負ったのなら、俺にもそれ相応の怪我があってもおかしくない。
 だとすれば「てっちゃん」はなぜ死んだのか。
 事故に巻き込まれて……事故に……。


 くるくる、くるくる


 あ……ああ……。
 事故は……脱線事故は……。
 そう。電車が動かなければと、そう願って土手に上がったのに、向こうからいつものように電車が来て。
 遠くにライトの明かりが見えて、悔しくなって……それで……。
 線路に……石を……置いた。
 まさかあんな大事故になるなんて思いもしなかったんだ。
 ただ俺は……かあさんが……。
 大きな音がして、人が血を流していて、怖くなって、逃げようとして。
 振り返ったところに――


 いつまでも
 いつまでも


 ああ……「てっちゃん」が、いた。
 思い出した。
 全部思い出した。
 平凡な人生?
 何を言っているんだ、俺は。
 あんなに恐ろしいことをしたのに。
 人をたくさん殺したのに。
 そうだ。
 振り返った先に「てっちゃん」がいて、怖い顔をしてた。
 そして、驚きに硬直した俺に向かって「見たぞ」と。


 くるくる、くるくる


 親友だった。
 親友だったんだ。
 一番仲のいい友達だったんだ。
 でも――怖かったんだ。
 ああ、思い出した。
 全部思い出した。
 まわっていた。
 くるくるまわっていた。
 脱線した電車の車輪が。土手を転がり落ちる、ちぎれた人の頭が。血に濡れた電車の破片を握った俺の視界が。
 そして、殴られて頭から血を流した「てっちゃん」の体が。
 くるくる、くるくると。
 ふらつきながら、オルゴールのピエロのように。


 まわるよ


 そうか、そうだ。
 あの旋律は、いつか見たオルゴール。
 両手足を変な風にねじくらせたピエロがくるくるとまわる、「てっちゃん」がふらつくのを見て思い出したあのオルゴール。
 は……ははは。
 わかったじゃないか。
 俺が「焦る」理由も。「まわる」の意味も。
 簡単なことだ。
 俺が忘れていた。いや、忘れようとしていた。
 大きすぎる罪から逃げようとしていた。
 でも……忘れられるわけが無い。
 あれから十五年もたつ。
 それでも忘れられずに、俺は夢の中で絶えず怯えていたんだ。
 それにしても、よく俺の仕業だとばれなかったものだ。
 そうか。「目撃者」がいなかったからばれなかったんだな。
 唯一の目撃者である「てっちゃん」が死んでしまったから。
 もうすぐ俺の誕生日だ。
 あの日から十五年目の。
 時効が成立する。殺人の時効が。
 だから頻繁に夢を見るようになった。
 はは、簡単なことだ。
 フロイトは間違っちゃいなかった。全部俺の中にあったことだ。
 誕生日がくればもうあの夢を見ることもなくなるのだろう。
 そう、何も変わらない。今までどおりだ。
 俺は平凡な人生を送ってきた平凡な男になる。
 俺はなにもしちゃいない。


 まわる、まわるよ


 ――え?
 嘘だ……。


 くるくる、くるくる。


 そんなバカな……。
 夢じゃ……ないのか?


 いつまでも
 いつまでも


 歌が……歌が聴こえる……。


 くるくる、くるくる


 ああ、そうだ。
 この声は……


 まわるよ


 やめてくれ、「てっちゃん」。


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