先生の答え(投稿者K氏)



 ここは、孤島に建つ小さなラボだ。
 そんなラボに、僕は先生と二人だけで生活している。先生は僕の育ての親でもあり、僕のたった一人の身内だ。

「ミトももう十八歳ですか」

 黒い長髪を後ろで一つに束ね、年期の入ったよれよれの白衣を着て、大きな丸いレンズの眼鏡を掛けている。
 そんな、いかにも博士といった風貌の先生。
 先生は椅子に座りながら僕にそう呟いた。

「ええ、先生のお陰ですよ。この島に流れ着いた僕を拾って育ててくれた……」

 僕がこのラボに住む事になった理由。それは、僕がここに漂着したせいなのだ。
 打ち寄せられた船の残骸の中で、赤ん坊の自分だけが大きな声を上げて泣いていたそうだ。おかげで僕は、自分の両親の顔はおろか、どこで生まれたのかさえ分からない。

「そうですね。思えば大変でした―――人工ミルクの開発、人工おむつの開発……長年研究をしていましたが、あんな事は初めてでしたよ」

「すいません先生。なんでもかんでも人工って付けるのやめてくれますか?」

 僕がそう突っ込むと、先生は明るく笑った。
 その笑顔はとても柔らかくて温かい。先生の性格をそのまま現しているようだった。

「ははは。でも、一人前になりましたね……ミト」

 育ての親に改めてそう言われると、嬉しい反面、なんだか恥ずかしかった。
 僕は照れ隠しに話題を切り返す。

「そ、そういえば先生。今日は特別な話があると仰っていましたが、まさかそれを言う為に?」

 先生は今日、僕に話があると言って呼び出していたのだ。だから僕は、こうして先生と向かい合いながら座っている。
 笑顔で首を横に振ると、先生はゆっくりと話し始めた。

「私には二つの大きな目的がありました。一つは、あなたを私の跡を継ぐのに相応しい程まで育て上げる事」

 そう言って微笑む先生に、僕は違和感を感じた。
 先生の跡を継ぐ? それはおかしい事だ。幾ら僕を育てて十八年経過したとはいえ、先生の年齢はまだ三十六歳。
 跡取りを考えるような、寿命間近の老人と先生は違うのだ。どうして跡取りなどと言うのだろうか。

「そしてもう一つの目的は、あなたを育て上げた後でなければ果たせぬ目的なのです。そして今日、その目的を果たす時がやって来た―――あなたをお呼びした理由は、それを見届けてもらう為なのですよ」

 そうして先生は、自分の後について来るように、と言い、僕はそれを追って席を立った。
 見覚えのある様々な機器の間をすり抜け、先生はどんどん奥へ進んで行く。
 行き止まりまで来た時、先生は何も無い壁に手を伸ばした。そこに人差し指を押し付けると、ピッという電子音に続いて壁が下へと沈み込み、新たな部屋が現れた。

「指紋認証システムでずっと隠しておいた部屋です。さすがのあなたも気付かなかったでしょう?」

 振り返って微笑む先生よりも、こんな部屋がこのラボに隠されていた事に驚いた。十八年も住んでいてまったく気付かなかったのだ。
 部屋へ入ると、大きな装置が広い部屋の真ん中に一つ存在していた。一見すると溶鉱炉の様に見える。
 その周囲を、装置の上部へと向かう足場が取り囲んでおり、下には装置から何かを排出する為のベルトコンベアーがあった。

「先生、これは何ですか? 溶鉱炉のように見えますが……」

 先生は首を横に振った。

「それは違います。これは私が十八年前に製作した装置―――反地球物質除去装置です」

 そう言った先生だったが、顔をしかめる自分に気付いたのだろう。もう一度細かく説明してくれた。

「これはいわば、地球の意思を代弁する装置なのですよ。例えば、私が今までに無い最強の毒を開発し、それをこの装置に入れたとしましょう……するとそれは除去され、消滅するのです」

 なるほど、と僕は頷いた。
 つまりこれは、地球に害を及ぼす物質を消滅させる装置なのだろう。

「この装置は地球の代弁者。つまり、この装置によって取り除かれる物質は地球にその存在を否定されるも同様なのです」

 先生はそう言いながら、装置のコンパネへと向かう。どうやら、これを稼動させるようだ。

「さっき私は、私が今までに無い最強の毒を開発したなら、それは除去される、と言いましたよね? それがどうしてだか分かりますか?」

 コンパネを操作する先生にそう聞かれて、僕はさっき自分で理解した事を元に答える。

「それは、その物質が地球にとって害を与えるからです。もしそれが土壌に散布されたなら、そこに生ける生命は甚大なダメージを被るでしょう。よって、地球はそれを不必要と判断するのです」

 しかし先生はそれには答えず、もう一つ別の質問をぶつけてきた。

「では、もう一つ聞きます。例えば原油で汚染された土壌。こちらも同様、そこに生ける生命に甚大なダメージを与えるでしょう。それをこの装置に入れたとして、果たして原油は除去されるでしょうか?」

 勿論、地球に原油は害を及ぼす。
 だから僕は勿論、除去される。と、そう先生に答えた。しかし、先生の返した答えは否だった。

「よく考えて下さい。原油は地球にとって本当に不必要な物でしょうか? 原油とはプランクトンなどの生物の死骸が海底に堆積し、地中で化学変化して出来た化石燃料。いわばこれは、地球の一部なのです。しかし、私が作り出す毒。これは人間が手を加えない限り、自然界で生成される事は決してありません」

 先生はそう言って装置を見つめる。
 僕はそれを聞いて頷いた。どうやら、僕が初めに出したこの装置に対しての見解は少し違っていたようだ。

「つまり、自然界が作り出す物質は除去されず、自然界では存在しない人工物質が除去される。よって、先生の毒は除去されるという事ですね」

 笑顔で頷く先生。
 そこまで分かって、僕は言い知れぬ不安を感じた。何か、恐ろしい事を暗示しているような気がする。
 眉根を潜める僕を見つめて、先生は再び語り始めた。

「除去される物質には同じ条件があります。それは―――人間が作り出す完全な反自然物質であるという事。例えそれが、どんなに無害で、どんなに地球の為になろうとも……」

 僕はそれを聞いて、自分に不安を与えていた物をはっきりと悟った。

「これではまるで、地球が人間の存在を認めていない事を主張しているかのようなのですよ―――ここまで言えば、私が抱いた疑問が分かるでしょう?」

 僕は頷いた。
 そう……否定される物質の作り手である人間の存在意義はどうなのか? だ。
 そして、この装置は別に物質に限った物ではない。生物である人間もまた、地球の取捨選択を受ける事が出来るだろう。
 よってこの装置に人間が入れば、その判別が行えるのだ。
 それを考え、僕は息を呑んだ。

「私は人間という生き物を深く愛しています。だから、この装置で人間の地球に対する存在意義の有無を調べようと決心しました」

 そういう先生の後ろでは、装置が唸りを上げ始めていた。もう少しすれば使用可能になるだろう。

「この装置に私が入ればその答えはすぐに確認出来ます。しかし、もし人間が地球にとって不必要な物であり、その存在を否定されたならば……それを考えた時、私は自身の消滅を恐れ、踏み出す事が出来なかったのです―――しかし、そんな私に転機が訪れました」

 そう言って先生は、僕を見つめて優しく微笑んだ。

「浜辺に打ち上げられているあなたを見つけたのですよ」

 微笑む先生の後ろでは装置の唸りが収まり、静かな起動音のみが響いている。
 作動準備が完了したのだ。

「私はその瞬間、犠牲となる意味を得ました。もし人間の存在が否定され、私がこの世から消滅した場合の後をあなたに託すという意味を」

 そう言いながら、先生は装置上部へ向かう階段を上って行く。僕はそれを黙って見つめる事しか出来ない。

「そうすれば、私の犠牲は人間の存在を変えていく足がかりとなる……そしてその意味が―――私に死を超える勇気をも与えたのです」

 装置の上部に立った先生はそう言って微笑んだ。

「いいですか? もし私が消滅した場合、あなたが一番最初に人類の存在を変える努力を始めなさい。あなた一人では小さい。けれども、その小さな努力の輪は徐々に繋がっていき―――やがては人間全体を変えていく大きな輪になるでしょう」

 先生は人間を誰よりも愛し、人間で一番優しい。
 だから、人間の為に犠牲になろうとしている。人間をより良い方向へと向かう為の犠牲になろうとしている。
 そして、その為の強い気持ちと覚悟を持っている。

「それが―――繋がり合うという、人間の素晴らしい力なのです」

 いつしか、僕の目からは涙が溢れ出していた。
 先生は死ぬかもしれない。
 物心つかない僕をここまで育ててくれたのは紛れも無い先生だ。だから、先生を失う事になるのは嫌だ。
 けれど、今止めたら先生の気持ちと覚悟を踏みにじってしまう。

「……僕はどうすればいいんですか? 僕は先生を止めたい。けど、先生を止めたらその気持ちを踏みにじってしまう。それも僕には出来ない……」

 そう言って泣きじゃくる僕に、先生はこう言った。

「そうですね……それでは、待っていて下さい。そして、これが終ったら昼食にしましょうか―――あなたの大好きな卵を使った新メニューを考えてあるんですよ」

 そう言う先生は、いつもと変わらない柔らかくて温かい微笑みを浮かべていた。
 そうだ。何を僕は心配に思っていたのだろう。
 こんな先生がいる人間を、地球は否定なんてしない。こんなに優しくて……こんなに温かいのだから。
 だから僕は、精一杯笑って大きく頷いた。

「分かりました先生。待ってます。先生が帰ってくるのを待ってます!」




 だから僕は装置に身を投げた先生をずっと待っている。

 ――――ずっと待っている……