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終われる刻の神話(下)

 エレベータの奥の壁は、透明なガラス張りになっている。暗い空にのしかかられるようにして、いくつものビルが群れかたまっていた。重なり合った建物のほんのわずかな隙間から、摩天楼の外の荒野が見えた。
 エレベーターの現在位置を示す数字が、どんどん大きくなっていく。そのとなりに、変化しない、171という白い数字が刻まれている。それが、最上階なのだろう。
『一体……何が待ってるんだろうね』
 下へ流れていく景色を眺めている少女に、フェイルがぽつりと言った。
「この夢の主……だといいけど」
 不意に、エレベータの上昇速度が減る。異状でも起きたのかと天井を見上げるが、減速は一定していた。
 やがて、80階で、エレベータは止まる。ドアがゆっくりと開いていくのを、リルタは銃をかまえて見届ける。その銃口が向けられた先、廊下に、白いスーツ姿の女が立っていた。平然と乗り込んでくる金髪碧眼の女に、リルタは以前見た面影を重ねる。
「あなたは……」
「ナターシャ。それがわたしの名前よ」
 額に銃口を向けられたまま、女は少女のとなりに立つ。ドアが閉まり、エレベータが再び上昇を始めた。
『ナターシャ、きみは……』
「管理局の職員。そういえば、リルタさんと顔を合わせるのは2度目かしら」
 彼女のことばに、リルタはわずかに目を見開く。
 ナターシャの言うことが本当なら、彼女は現実世界からこちらに入ってきたことになる。それとも、目の前の彼女もあのときの彼女も、自分の記憶が作り出した幻影なのか……と、リルタは内心戸惑った。だが、目の前のナターシャは何かが前とは違っている、とも感じる。
「もっとも……わたしは、あなたの前に出るのは初めてだけど」
 言って、彼女は初めて、顔を相手に向けた。表情を確かめようというかのように。
「偽者……?」
「ええ。以前のは、メモリから再生した仮想のわたしよ。あれもまた、なかなかできたプログラムだったわ」
『プログラム……?』
 フェイルが、恐れたように小声で問う。
 ナターシャは視線を戻す。その碧眼は、どこか遠くを見ているようだ。
「そう。〈閉ざされた空の彼方〉も、〈縛りつけるもの〉、〈殺戮マニュアル〉、〈少女の復活〉など……そして、荒野を舞台にポッドをめぐる旅を作り出し、ここに至る〈終われる刻の神話〉……その他、多くのプログラムを利用させてもらったわ。人々のニーズに応えるため、入眠時の夢のレパートリーは豊富にある。そのなかから、もっともあなたに相応しいと思われるものを用意させてもらったの」
 彼女の言うことを否定も肯定もせず、少女は、銃をかまえたまま、じっと相手を見る。話が本当なのか、確かめるように。
「わたしが、冷凍睡眠の最中に夢を見ているというの?」
『それに、わたしは、わたしに意志があることを知っている……証明はできないが。わたしは、長い間記録した、多くのデータを保持している……それも嘘だというのか』
「そうではないわ」
 軽くうつむき、ナターシャは否定した。
「今のわたしもそうだけど、同じ夢を見ている、とでも言いましょうか。フェイルも、我々の惑星を管理するシステム……そのことに偽りはないわ」
 エレベータは、150階を通り過ぎた。ガラス越しの景色は、周囲のビルの屋上を並べている。
「理由は、大体人間たちと同じ。フェイルのパーソナリティとしての昨日を監視し、維持するため。リルタさん、あなたを一緒にしたのは、あなたが良いパートナーとしての適性を備えていたからなの」
「それで、あなたがここに来た理由は?」
 少女は、ようやくリヴォルバーをしまう。決して気を許したわけではなさそうだが。
「理由は2つ。ひとつ目は、そろそろ、目覚めのときだからよ。隕石の衝突で人が住める環境ではなくなった地上……放射能で汚染された地上を浄化するには、我々の技術でも、何百年もかかる。最近ようやく、濃度が危険レベル以下に減少した」
 168……169……と、階数表示が変わっていく。
「だからまず、管理局員が目覚めて、準備をしているの。その準備も、そろそろ終了」
 171、と数字が明滅した。チン、と澄んだ音が鳴り、ドアが開く。
 目の前に広がったのは、円形の、白い壁に囲まれた空間だった。中央には、部屋の形に合わせた太い柱が鎮座している。その白い柱の表面に、いくつものモニターや目立たないスイッチが点在していた。
「もうひとつの理由は? ふたつ、あるんでしょ、ここに来た理由」
 ナターシャが降りてから、そのあとを追う。ジャケットの内ポケットに手を入れたまま。
「そう。もうひとつは、ある調べもののためよ。それをこれから調べるの」
 彼女は、柱に歩み寄った。円形の部屋の四方にある正方形の窓から、赤みがかった光が射しこんで彼女を照らした。
『何を調べようっていうんだ? わたしに記憶されていることなら、無駄な手順を踏む必要はないだろう』
 フェイルが相手を試すように言う。しかし、ナターシャは少しも表情を動かすことなく、柱にあるスイッチを入れる。モニターに、データベースの種類を表わすリストが表示される。
「機能を制限されているあなたが、すべてを知っているわけではないわ。外のことならわたしの方が詳しいし……それでも、わたしもすべて知っているわけではないから、こうしてデータを引き出す必要があるの」
「外のことは知ってるって……管理局のこともですか、ナターシャ・ミシュトンさん」
「ええ、もちろんよ」
 背後からの問いかけに、ナターシャは振り返りもせずに言う。
 だが、画面上のパネルを操作しようと伸ばした指先は、宙で静止させられた。後頭部に突きつけられた、硬いものの感触によって。
 ゆっくりと首を動かす彼女の目に、リヴォルバーの銃口が滑り込んできた。
「やはり、あなたは偽者だ。ナターシャではない。プログラムなんて嘘だ」
「なぜ?」
「もっとも、あなたを本物でないとするのに手っ取り早い記憶……本物のナターシャの記憶が、わたしにはあるからさ。すべてがプログラムなら、そんな記憶がわたしに存在するはずはないからね」
「そんな、〈夢で起きた、夢〉で顔を合わせたとき、そういう様子はなかったんじゃ」
「相手はこちらを知らない。それに、あのときも相手が本物か判断する必要があったから、観察させてもらった。向こうは、あなたのようにミスはおかさなかったけど」
 ナターシャ――という名を名のるものの顔が、凍りつく。
 だが、彼女の次の行動は迅速だった。身体を横にして銃口の狙いを外すと、右手の拳に生えた鋭い爪で、少女の銃のグリップを握る手を突き刺そうとする。武器をおさえ、その直後の隙にとどめを刺そうというかのように、同じく爪の生えた左の拳が先端を向けていた。
 リルタは、一歩後ろに飛び退く。その頬を爪の先が裂き、血がしぶいた。リアルな痛みにもかまわず、少女は銃を引き戻して女の2撃目にそなえる。
 左の爪をバレルで受け止め、リルタは、その上に自分の左手の甲を押し付け、身体の位置をずらしながら相手の力の到達点を移動する。勢いの角度がずらされ、その到達点から爪が折れた。
「ひゅっ」
 銃口から逃れようと身をひねりながら、偽ナターシャはそのひねりの勢いをのせて、回し蹴りを放った。
 リルタは軸足を引き、上体をそらしてかわす。鼻先をかすめる鎌のような脚が目の前を過ぎると、即座に銃口を上げていたリヴォルバーのトリガーを引く。銃弾は、相手の軸足を撃ち抜いた。
「なんなの……あなたはっ!」
 倒れこみながら、偽ナターシャは声を上げる。
「システムを掌握しているわけでもないあなたが……なぜ」
 見上げる彼女の銃を作り出そうとしていた右手を、リルタが踏みつける。リヴォルバーの銃口を額に向けられ、偽ナターシャは観念したようだった。
「あなたの言う〈終れる刻の神話〉とやらのおかげか、だいぶ慣れたんだよ、きっと……」
 苦笑する彼女の耳を、溜め息を真似た音がかすめる。
『リルタ……わたしも驚いたよ。ナターシャを知ってるなんて』
「そんなの、嘘に決まってる」
 苦笑ではなく、笑う少女を、偽ナターシャは目を見開いて見上げる。
「本当にわたしの夢を制御しているなら、わたしが嘘をついていることもわかったはずさ。……それより、質問の答え、聞かせてもらおうか」
 まばたきもせずに、少女は女を見下ろしていた。人さし指は、いつでも引けるよう、トリガーにかけられている。あとほんの少しだけ力を加えれば、銃弾が発射される状態だ。
「わたしは……知りたかった。フェイルの製作者の1人である、あの男のことを」
『あの男?』
「そう、わたしを捨てて出て行ったあの男。父親よ」
 うつぶせから、鋭い目で見上げながら、女は鼻で笑った。
「さっき、見たでしょう? リメルという少女。あれは、過去のわたし。目の見えない、身体の弱いわたしを捨てて、父は再婚した。母は1人でわたしを養うため、遠くに働きに出て……早くに死んでしまった」
「だから……復讐を?」
「わたしが病気と貧しさに苦しみながら勉強し、働いているときに、あの男は……! 血もつながらない孫と一緒にぬくぬくと暮らしていたのよ」
 彼女――リメルの偽りの顔の碧眼が、憎しみに燃える。
『だから……ウイルスを使ってこの世界を制御し、その孫を殺そうとした? それとも、父親の真意を知りたかった?』
「あの男は、両親を失い、病に冒された少年の保護者になったの。だからって、実の子を捨てていくのが許されるの? あの男は……」
 ウイルスを通して、得た情報なのだろう。だが、それは彼女を満足させるものではないらしかった。
『そうではない』
 確信をもって、惑星管理システムは断言する。
 今、奪われていた機能のすべてが、彼の元に還りつつあった。データも、仮想現実を操るための制御権も。
『きみのことは、管理局で面倒を見ることになっていた。だが、きみは逃げ出したんだ。本当なら、いつでも父親に会えるはずだった。でも、きみは見たくなかった』
「わたしが父親を捨てた……って言うの」
 女は、恨めしげに宙を睨む。
『確かめてみればいい。仮想の世界ではなく、現実で』
「無理よ」
 あきらめの表情に似た笑みが、青ざめた顔に広がる。
「もう、身体なんてないもの。死に際の、最後の行動だったの……わたしは、もう病死してるわ」
 その、仮想のほうの身体が、指先から光の粒となって消え始めた。周囲のものも、リルタも、身体の輪郭から徐々に細かくちぎれ、無数の蛍のような粒となって蒸発していく。
「これで終わりね」
 身体がなければ、意識をもとの脳に戻すことができない。意識の死が、人の死でもあった。
『きみの意識をこの世界に残しておくことはできる』
「無意味よ。わたしには、もう何も考えることがなくなってしまった……」
 暗い世界が、光に、白一色に染められていく。
 薄れゆく意識の中で、リルタは、馴れ親しんだ大きすぎるヘッドホンにささやいた。

 緑と機能的な街並みが調和する、中央区。公園では子どもたちが遊び、散歩中の老夫婦が休み、家族連れが弁当を広げ、若者たちが談笑する。少し離れたところでは、仮想体験映画の野外上映が行われていた。
 映画は、仮想現実体験装置を通してでも見ることができる。
 仮想現実でトラブルが起きてから、3ヶ月。すでに、システムは元通りになっていた。それに関わる、日常も。
 ただ1人の少女の存在を除いては。
「まだまだ、かあ」
 小柄な身体には大き過ぎる服に、リュックサックを背負った少女が、仮想現実の山道を登りながら言う。その周囲に広がるのは、廃墟の星を思わせる荒野――ではない。
『自業自得だろう。新しい身体を作るには、あと数ヶ月はかかるな』
 新しい身体。それは、少女のものではない。今、彼女の身体を使っている、別の人間の身体のことだ。その人間の意識が新しい身体に移らなくては、元の身体に戻ることはできない。
「彼女、どうしてるかな」
 足を止めて、景色を見渡す。樹木の並びが途切れたそこからは、仮想の街を見下ろすことができた。
『新しい家に引っ越したところだよ。まだぎこちないけど、今は監視付きだし、本物の身体とは違うし、仕方がない。……それより、リルタ、きみにも家族はいるだろう?』
「そうだね……急ぐことにしよう」
 急に思い出したように、歩みを再開する。
 すでに、頂上は見えていた。そこには、小さな公園がある。木のベンチと、色々な季節に咲く花が一緒に植えられた花壇が。
 そこで待つ、家族のもとへ。
 少女は、大きく一歩を踏み出した。


  完
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