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周囲にはいくつもの顔が並んでいる。見覚えのあるもの、ないもの。 何かを忘れているような気がして、少女は自分の頬に触れてみる。その手を、こめかみに、頭に持っていき、そこにあるべきものがないことに気づく。 「どうしたんだい、リルタ。わたしがわかるかい?」 見覚えのある、白髪の、しわの多い顔。それを見上げて、少しの間、リルタと呼ばれた少女は茫然としていた。しかし、突然弾かれたように上体を起こす。そこは、仮想現実体験プログラムの端末、P−ポッドの中だった。 周りにいるのは、4人。老婆の他は3人の男は、医者風と、あとは技術者と科学者か。 「……おばあちゃん」 「ああ、そうだよ。よかった、大丈夫そうだね」 「しかし、心身ともに検査が必要でしょう」 白衣を着た、医者らしい青年が告げる。 「フェイル、一番近い病院に個室を用意してくれ」 『承知しました』 スピーカーから、聞き馴れた声が応答する。 個室にしたのは尋問するためだろう、と、リルタは思った。そして、ここは本当に現実なのか、それとも夢の中――仮想現実の中の、夢なのか、とも。 リルタは、大人しく病院に搬送された。その間に、街並みを見る。以前と変わらないが、警察の姿が目についた。惑星管理システムへのウイルス侵入事件の調査のためだろうか。むしろ、そうであって欲しい、と、彼女は願った。 彼女は、どこまで自分の認識が正しいのかわかるまでは、口を開かないことにした。 扱いは悪くなく、そこは、普通の病院だった。リルタは自分が入院する必要はないと思っているが、何も言わない。大人しいので、おそらくやはり弱っているのだろうとでも思ったか、誰も怪しまなかった。看護婦も、時々見舞いに来てくれる祖母も、優しくしてくれる。 他の患者同様、いつでもフェイルとの連絡を取ることができたが、彼女はそうしなかった。 「気分はどう、リルタさん」 入院から3日目に、見知らぬ女性がきた。後ろには、目覚めたときにいた、医者が控えている。 「おかげさまで、悪くはないです」 「そう、良かったわ。わたしは、惑星管理局のナターシャ・リスバーグ。ぜひ、あなたに話を聞きたいの」 「お答えできることなら、なんなりと」 ナターシャは見極めるように、その碧眼を向けた。それはリルタも同じだ。真実を見通すように、その漆黒の瞳を輝かせる。 「あなたは、ウイルス侵入の2時間ほど前にポッドに入ったそうね。侵入の後、何か変化はあった?」 やはり、ウイルス侵入事件はあったらしい。ここが夢であろうとなかろうと、とりあえずその認識に間違いはなかったようだ。 「ええ、仮想現実世界がすべての人々の中で統一されたようです。それは、壊滅した世界のような風景でした」 「……なるほど。では、他に何かウイルスの活動に類する現象を見たりしたことは?」 「はい。人の人格を消去するのを見ました」 リルタのことばに、ナターシャはわずかに衝撃を受けた様子だった。 「では、すでに被害者が出ているのね……フェイル、ワクチンの生成状況は?」 『40パーセントというところです。データが足りません。リルタさんからウイルスのデータを得られればよいのですが』 惑星管理システムの中枢であるFAL――フェイル。ウイルスの侵入を受けたのは、仮想現実体験プログラムを制御しているフェイルだ。普段は記憶も共有しているため同一のものと言っていいが、今は接続不能となっている。 「できる限りのデータを提供しましょう。でも、仮想現実のフェイルはもう、ワクチンを開発していますよ。ただ、人々が『夢の中の夢』に捕らわれているので、一気に振りまくことはできませんが」 「仮想現実のフェイルはまだ消されていないの?」 ナターシャが目を丸くする。 「ええ……『夢の中の夢』から人々を解放し、その領域を浄化して回っていました」 『それは、効率的とは言えませんが』 と、中枢のフェイル。 『せっかく浄化した領域にウイルスが再び侵入する可能性があります』 「だから、一旦取り戻した領域は制御権を取り戻したあとは孤立させる。確かに危険はあるけど。ウイルスが単なる情報ではなく物理的形を持っていたら……でも、それは惑星管理局が監視しているでしょう」 驚きと感心。だがそれが冷めると、ナターシャは、リルタに疑いの目を向けた。 「それは、本当なのかしら? だとしたら、わたしたちはすべての人々が解放されるまで、ワクチンも使えないわ」 「私は嘘はついていませんよ。わたしの瞳孔と脈拍をフェイルに監視させているでしょう。そうでなくても、ここは病院だ、それくらいなんとでもなる」 リルタにはわかりきったことだった。だが、監視していたことを見抜かれて、ナターシャと医師、それにおそらくフェイルも、気まずい気分になる。 もちろん当のリルタは平然としている。 「お気遣いなく。しかし、ワクチンが使えないのはその通りです。夢の中に出向くしかない」 『危険過ぎる。他にも方法があるはずです。もっと慎重に考えないと』 時間をかけるとウイルスの侵攻が進むなどということは、もちろんフェイルもわかっているだろう。 ナターシャは、仮想現実で起こっていることの多くの情報をリルタから引き出した。その情報を元に、惑星管理協議会で対応を話し合おうというのだ。 「あなたの協力に感謝するわ」 彼女は多少なりとも光明が見出せたような様子で部屋を出て行く。だが、リルタは思っていた。 問題は、今。仮想現実ではなく、現実にあるのだ。 「誰が、何のために、こんなことを。捜査は進んでいるはず」 『警察は、事件を一種のテロだと推測しています。犯人は、わたしのシステムが制作される前、設計に関わった科学博士です。しかし、誤った設計のために実験段階で事故を起こし、開発スタッフを追放されたそうです』 その人物の名は、データバンクにない、とフェイルは言った。おそらく削除されたのだろうということは容易に予想できる。クラッカーとしての腕もかなりのものだろう。 『共犯者と見られる男が遺体で見つかっています。主犯の博士は行方が知れません』 「ふうん……でも、わたしにとっての一番の問題は別にある」 『それは何です?』 リルタの突然のことばに、フェイルは不安げにきく。 「それは、ここが夢か現実かわからないこと」 『……ここは現実ですよ、リルタ。心配ありません』 ほっとしたような、安心させるような声が、それとはわからないスピーカーから流れる。 リルタは憂鬱な気分だった。 「違うよ。フェイル。現実はきみの計算も、想像も、仮想現実も超える」 部屋のドアがノックされた。そして声がかかる。 「リルタ、お見舞いにきたよ。ほら、あなたの好きなアップルパイを持ってきたよ」 聞き馴れたはずの声。 「確かに祖母はいたけど、わたしがP−ポッドに入る5日前に死んだ。アップルパイなんて好きじゃない」 病室のドアにいちいち鍵などかけてはいない。ドアが開かれる。老婆はバスケットを持っていた。 『やめるんだ! よせ!』 バスケットのなかを感知したのだろう。フェイルが警告する。 老婆の姿をした人物は、聞かない。アップルパイの中から、薄いカードに似た銃を取り出す。リルタはベッドの毛布に埋もれたまま、それを見ていた。 ダダン! 銃声が響き、病室の白い壁が血に染まった。 老婆は倒れ、銃を握っていた右手を押さえる。カード型ピストルが床に落ちた。 『どうやって……』 リルタの右手の人差し指は、毛布の中で、リヴォルバーの引き金を引いていた。 「ここは、おそらく夢ではないだろう……ただ、わたしが夢なんだ」 リルタは、自分の記憶とこの世界を結ぶ証拠を集めた。フェイルに指示し、今までリルタが解放した人々の証言を集めさせ、ここが現実であることを確信する。 仮想現実から意識が幽霊のように分離するとは、誰も聞いたことがなかった。しかし、逮捕された男――皆はじめて知ったロアンという名の男によると、それが彼の書き上げたプログラムであり、もともと組み込まれるはずだった機能だったのだという。肉体の組成を量子レベルで変化させる、危険で高度なシステム。 「悪用される可能性があるからだろうな」 『制限を加えれば使用できそうですが、それはこれからの学会の議論次第でしょう。ロアン博士自身悪用しようとしていましたし、慎重に議論されるでしょうね』 夢の肉体は傷つくこともなく、夢を操ることができれば、リルタのように武器を取り出すのも自由自在だ。戦闘力の面からでも、強力な装置と言える。ただ、自在に操るには、フェイルを支配する必要があるのだ。 まったく病人でも怪我人でもないとわかったこともあり、リルタは病院を出た。別に追い出されることもなかったが、彼女は街を歩いてみたい気分だった。 犯人逮捕の協力の礼をしてくれると言うナターシャに、彼女はフェイルの端末を貸して欲しいと言った。 『……あなたのその状態も、ロアン博士に直してもらえるでしょう。わたしは今夜の議会である提案をするつもりです』 商店街をぶらつくリルタに、フェイルがぽつりと言う。リルタは平然とうなずいた。 「仮想現実体験プログラムの管理システム全部消去する、だろ」 『なぜそれを?』 「本人が言ってたんだよ、そんな考えぐらいわかる。何せ本人だからな。……本気で、逃げる気かい」 『逃げる、とは? それが、一番手っ取り早い方法です。わたしの一部を失うのはわたしも避けたい。でも、これ以上人々を巻き込んだまま放置して置けない。システムだけを消去すれば、あとはわたしが直接介入できる』 「嘘だね、仮想現実での記憶を受け取るのが怖いんだ。仮想現実のきみはいくら恐れても逃げなかったのに」 フェイルが沈黙する。リルタは、身をひるがえした。 そうすることは、最初から決めていたことだった。 P−ポッドに身を横たえ、ハッチを閉じる。ヘッドセットは、近くの交番に預けてきた。ここは立ち入り禁止になっており、見張りもいたが、リルタにとっては無意味なことだ。あらゆる道具を発現させることができ、空を飛ぶことも、壁を透過することもできる彼女にとっては。 暗いポッドの中で目を閉じる。夢の中へ――。 気がつくと、彼女は荒野の真ん中にあるポッドのそばに立っていた。 『リルタ? どうしたの?』 リルタは無言で、ポッドのなかを見る。誰もなかにはいない。 大きなヘッドセットに、工具が入ったリュック。裏ポケットにホルスター入りの銃が入っただぶだぶのジャケット。身体のどこにも違和感はない。 『もしかしてリルタ、白昼夢でも見た?』 からかうような、フェイルの声。 結局、どっちが夢だったんだ? ――考えても、仕方のないことなのかもしれない。 「……ま、いっか」 肩を落とし、ポッドのパネルを開く。 「地道にやるのが一番だね」 『そうそう。急がば回れ、だよ。でも、リルタがもっと足が速ければいいのに』 「うるさい。今のがわたしの思考速度の限界だよ」 またひとつ、領域が浄化されていく。 世界は、変わりなく荒れ果てていた。 |
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