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今、まさにカウントダウンが始まろうとしていた。 整然とした街の、広場に設置された巨大モニター。そこに映し出されているのは、巨大な、流線型の魚に似た乗り物だった。半透明な棒で構成されたタワーに支えられたそれは、あきらかに、宇宙航行機だった。 その機体には、〈NO.34〉の文字が彫り込まれている。 『最終移民船〈ネオクエスター〉34号機、間もなく発射します』 女の声が、スピーカーから流れた。続いて、中年くらいの男の声が流れる。どうやら、ネオクエスター34号機の機長らしい。 『すでに皆、一人一人のメッセージを残しているだろうが、私からも言いたい。悠久なる時を見守り、ともに過ごしてきた我らが母なる星よ、今までありがとう。今、我々は生まれ育った大地を飛び立つ。我々人類の暴挙の数々が、この星の寿命を縮めたのかもしれない……だが、後悔してはいられない。我々は進み続けなければいけない。この星のことを忘れることなく、新天地へ。いつかまた、母星が我々を迎え入れてくれるまで』 よく聞き取れなかいが、次に彼は『○○、頼んだぞ』と小さく声をかけるのが聞こえた。 『さらば――母なる星よ。再会を祈って、今は別れよう……』 移民船〈ネオクエスター〉34号機の下に、火花が噴出した。画面の端に『20』の数字が表われ、減少していく。最初に流れた女の声が、正確にそれを読み上げた。 『10……9……8……7……』 カウントダウンの背後で、地を震わせるような重い噴射音が大きくなる。 『3……2……1……発射!』 〈ネオクエスター〉が動いた。 その黒に近い紺色の機体が上昇し、タワーが倒れる。移民船は火花を噴出しながら、轟音とともに蒼い空に飛び立つ。轟音は画面に備え付けられたスピーカーからだけではなく、実際に空気の震えとなって、画面を見ている唯一の人物の耳に届いた。 その人物――少し大き過ぎる服に身を包み、リュックサックを背負った少女は、画面から視線を外して空を見上げた。陽の光を反射した黒っぽい物体が、白い泡のような筋を残しながら、空の彼方に消えていく。 その姿が完全に消えると、少女は、外して首にかけていたヘッドホンを耳に当てた。 「フェイル……今のが最後の移民船ってことは、この星にはもう誰もいないってこと?」 『ああ、リルタ。そうらしいね。どうやらこの惑星は、人間たちの生活で発生する排気ガスや自然に対する不純物が自然の自浄能力を大きく超えたまま何年もが過ぎ、大気圏の上限帯にわだかまっていた有害物質がもうすぐ地上に降りてくる状況にあるようだね』 リルタ、と名を呼ばれた少女の問いに、即座に応答があった。 『だから、彼らはあちこちに植物の苗を植え、自然が再びここを人の住める場所にしてくれるまで、別の星に住むことにしたようだ。果たして、百年かかるか、千年かかるか』 「その前に、効率よく空気や水を浄化する装置とかが発明されそうだけど」 『確かに、それだけの技術は間もなく開発されるだろう。しかし、この惑星に多くの科学の財産を置いていかなければならなかったようだから、ある程度時間が必要だろうね』 「あれだけの宇宙船を何機も造るだけでも、かなり時間が必要だったろうし」 無事に、計画的に惑星を脱出できたということは、かなり前からこの危機を察知して、惑星全体が緻密な計画にそって日々を過ごしてきたのだろう。 リルタは大画面が黒一色になると、周囲を見回し、通りを歩き始めた。足の裏に優しい弾力のある灰色の道を、適当に歩く。 「誰もいないんだったら、誰がこの夢を見てるんだろう……」 『自分が登場しない夢を見る人は、いないこともないだろうけれど』 フェイルは、不思議そうにことばを続けた。 『仮想現実体験プログラムを使うなら、自分が体験したいことを夢見るはず。そうでないなら、わざわざこのプログラムじゃなくても、シミュレータを使えばいいだけだ』 立体映像で、注文通りの映像を仕上げるシミュレータが存在する。商品や技術的な説明など、様々な場所で使われている、手軽で柔軟性のある装置だ。 リルタは、ある建物の前で足を止めた。 「似てる……」 つぶやき、彼女はその建物に入る。 すると、そこには、鈍い銀色に光るポッドが並んでいた。その周囲を歩いて上部の窓をのぞき込み、リルタは、誰もなかに入っていないのを確認する。 「これは一体……」 彼女が、何度となく見た光景だった。それに、フェイルも。 『そういえば、外の街並みも見覚えがあるね』 驚きを含む声が、ヘッドホンから洩れる。 これは、一体どういうなのか。その疑問を解消しようと、少女はポッドの起動状況を管理するコンソールに向かった。備え付けのモニターには灯が入っていないが、スイッチを入れると、モニターに『起動中:0』と表示される。どうやら、システム自体は動いているらしかった。 少なくとも何十年は人間が戻ってくることはないというのに、なぜ、システムを停止させていかなかったのだろう? リルタが首を傾げると、唐突にフェイルが慌てた声をあげた。 『リルタ、その光っているパネルを押してみて』 言われて、彼女はコンソールを見下ろす。フェイルのことばの通り、いつの間にか、パネルのひとつが緑色に点滅していた。 「なんだろう、これ」 言われた通りに、そのパネルを押してみる。 すると、画面に文字列が表示された。 『これは……』 リルタが目を丸くすると同時に、フェイルが驚嘆した。 画面に表示されたそれは、誰かに宛てたメッセージだった。 ――我々は別の惑星に向かう。きみを置いていくことを許して欲しい。これは、決して永久の別れではない。だが、一体いつ帰って来れるのかはわからない。だから、わたしは、きみに話し相手を残して行こうと思う。「……どういうこと?」 誰にともなく、リルタは問うた。 しばらくの間、答もなく、静寂だけが辺りを支配した。この惑星上には、誰もいないのだ。そうして立ち尽くしていると、リルタは不意に、孤独を感じた。 だが、これもすべて、仮想現実なのだ。夢のまた夢。夢の中に戻ったとしても、さらに孤独な世界が広がっているだけだとしても。 『……どうやら、この惑星上にも、それを管理する巨大なコンピュータ群が存在するようだ』 フェイルのことばを聞きながら、リルタは夢中で、パネルを叩いていた。 気がつくと、彼女は荒れ果てた大地に立っていた。そばには、ポッドが転がっている。 そのポッドのなかをのぞき込むと、彼女はパネルを操作し、上蓋を開けた。なかには、中年の男性が横たわっている。 『見覚えがある……わたしの開発に関わった技術者の一人だ。いつも、仮想現実で作業したり他のスタッフと連絡を取ったりしていた』 フェイル――FALという惑星管理システムの、技術者。 惑星管理システムの副次的機能に、仮想現実体験プログラムがあった。P−ポッドで眠る人間が思い通りの夢を見ることができるという装置だ。それが今は、ウイルスに冒されていた。 ウイルスがポッドで眠る人間の精神を喰らうと、その人間は現実世界でも、正常な精神を失う可能性がある。そのため、リルタは夢の世界の人々を起こして回っていた。もう残る人数は少ないが、その一方で、ウイルスに侵食された領域もだいぶ大きくなっている。 ここも、ウイルスの最前線が近くなっていた。瓦礫が積まれた荒野の向こう、地平線近くが、モザイクがかかったように歪んでいる。 「見たところは、大丈夫そうだけど……」 リルタは手を伸ばし、男性の肩を揺すってみる。 すると、彼はわずかに首を動かした。 『カリン・ベークロットさん?』 フェイルが、その技術者の名を呼ぶ。 すると、男は目を開けた。彼は一瞬驚いたように目をきょろきょろさせると、突然身を起こす。 「ここは……ああ、夢の中か。きみは誰だい?」 ベテラン技術者らしく、すぐに状況を把握したらしい。とりあえず、フェイルが簡単にリルタの紹介と、現在の緊急事態の状況を説明をする。 それを、特に動揺するでもなく、カリンは静かに聴いていた。 その直後、まず、リルタが疑問を口にする。 「失礼ですが、あなたの夢を見ましたけど……あれは一体、何なのですか?」 きかれたほうは、苦笑交じりに答えた。 「ああ、あれはシミュレーションだよ。システムがどこまで天変地異やら異常事態に耐えられるか、それに、歴史のイフってヤツをね。今は幸い、自然環境が重視されている。だから、自然破壊のために星を離れるようなことにはならないだろうね」 「それなら、シミュレータを使ったほうが……」 カリンは、さらに苦笑を濃くする。 「実は、わたしは現実世界じゃここまで流暢にしゃべれないんだ。昔患った病気のせいでね」 「そうでしたか……ごめんなさい」 慌てたように頭を下げる少女の頭に、男は笑顔で手を置いた。 「なに、いいってことさ。それより、早く戻って現実世界のスタッフを手伝わないとな。しゃべるのが苦手でも、この腕は口ほどに物を言うつもりさ」 『皆、あなたの技術をのどから手が出るほど欲しがってるでしょうね』 フェイルは、カリンからパスワードを聞いた。 「頼んだよ、リルタ。わたしたちも必ずきみを助けるから」 そう言い残し、彼の姿は消えた。 リルタはカリンと別れると、徐々に近づいてくるかに見えるウイルスの前線と平行に歩いた。 周囲の光景はますます不気味で荒んでいるというのに、少女はむしろ、辺りが少し明るくなったように感じる。 『残るポッド数の正確な数が出たよ。あとひとつ。残るは、あとひとつだ』 あとひとつ。それで、すべてが終わる。 妙な感慨が胸に去来し、考え込む様子を見せるリルタに、フェイルが独り言のようにつぶやいた。 『まったく、あのシミュレーションには肝を冷やしたよ……リルタがわたしの中に残された話し相手で、あれが事実だったらどうしようかと……』 少女は足を止めた。その色白な顔には、からかうような笑みが浮かんでいる。 「わたしは、自分が物心ついたときからのことをちゃあんと覚えてますよう」 『本当に? ひとつ残らず?』 「無意識のなかでなら覚えてるだろうけど、人は忘れる動物だよ」 適当なことを言いながら、少女は歩く。 最後のポッドを目指して――。 |
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