FILE 03 青い大地の道化師たち(下)


 すでに陽も暮れた、しかし空が完全に闇に染まりきってはいない時間、キサキは情報管理センターを訪れた。この時間帯にここを訪れる者は少なく、大体顔ぶれも限られている。
「やあ、キサキ。暇潰しかい? それにしては、時間が時間か」
 メガネをかけた三〇代前半くらいの男が、センターに入ってきたキサキを見つけて歩み寄ってきた。一見なんてことはない地味な印象の男性だが、キサキは、彼がなかなかの変わり者であることを知っている。
「あ、森沢教授……ちょっと調べものを」
 本当の目的を知られるのは嫌なので、適当にお茶を濁す。
 森沢はキサキの両親とは長い付き合いで、当のキサキのことも、彼女の小学生時代から知っている。そんな彼が、キサキが目をそむけたことに気づかないはずはなかった。
 それでも咎めないのは、大人の余裕か、信頼か。
「あまり夜遅くまで出歩くなよ。ただでさえ、きみの両親も心配してる。まあ、シレールがついてるし、大丈夫だと思うけどね」
「大丈夫ですよ。ご心配なく」
 キサキのほうも、森沢が気づいているということに気づいている。
 彼女は相手の姿が見えなくなるまで、玄関に立ち尽くして見送った。急速に闇が濃くなってきた外から視線を移し、身をひるがえしたところで、イヤリング型スピーカー兼マイクから、シレールが声をかけてくる。
『ずいぶんきみを信頼しているみたいだね、教授は』
「シレールは信頼してないの?」
 センターのなかは、どの並びのブースもがら空きだった。意味もなく奥のブースをめざして歩きながら、キサキはおどけたようにことばを返す。
『信頼はしているけど、いきなり何を言い出したりするかわからないからね。警戒もしているよ。警戒しても、どうしようもないことだけど』
「そういう予想できないことが多々あるから、人生はおもしろいんじゃないか」
『それは、予想できない行動をとる側だから言える詭弁だね』
「その詭弁が正しい間はいいんだよ。面白いと言えるだけの結果で終わっているうちは」
 果たして、今回はそういう結果に終わるだろうか。
 重要なテストに挑むような気持ちで、一番奥のブースの席に座り、モニターに目を向ける。シレールが自分の側から端末と接触した。
『さて、何が知りたい? 何でも言ってくれたまえ』
「投げやりっぽいなあ……じゃあまず、宮田隼人の仕事仲間とか」
 シレールは、宮田隼人の部署の名簿や、簡単な履歴を呼び出した。本来なら閲覧できないはずのデータである。
「最近になって入ってきた人とか、逆に、ずっと以前から知り合いだった人、っていうのが怪しいなあ」
『それなら、被害者の神崎裕美だけど……それに、湯月藍は少し前まで同じ部署だったのだけど、今は移動しているね。彼女の話では、その後は神崎裕美とはほとんど交流がなかったそうだね』
「それに、神崎裕美は休みがちだったって言ってたね」
 カフェで湯月に聞いたことを思い出し、彼女は天井を仰いだ。
 浄化教にある二つの派閥、オリジナルと過激派。神崎は積極的なオリジナルの信者であり、湯月は彼女と距離を置いていた。
 だが、キサキが受け取った、神埼たちが配っていたビラには、オリジナルへの勧誘とは思えない文句が書かれている。そこでキサキとシレールは、湯月が距離を取っている間に神崎に近づける彼女と親しい人物、宮田が怪しいとにらんだのだ。
「浄化教のことなんて何も知らないって顔してたけど、少なくとも神埼と湯月が入ってるってことは知ってたね」
『ああ、自分の宗教のことなんて、そう簡単に他人に洩らせることではないと思うしね……少なくとも、湯月はよほど信頼が置ける相手でなくては話さないだろう。しかし、宮田が犯人だとして、どうするね? まず、動機が確定できなくては仕方がない』
「うん……そのことで、気になることがあるんだ。とりあえず、湯月藍と連絡をとってもらおうかな。彼女なら、他にオリジナルのメンバーも知っているだろうし、解決はやっぱり、警察にやってもらわないといけないから……そのことを話せば、彼女も協力してくれると思うし」
 椅子を揺らして天井を見上げながら、キサキは、頭の中に描き出したシナリオのまとめに入った。

 その日もまた、街は昼間の活動を終えて、いつもとほとんど変わりないように見える、夕焼け色の姿を晒しているように見えた。行き交う人々や車輛の姿は完全に一致しないが、〈街並み〉という存在としては変わり映えがしない。
 その、日常というベールの中に、誰もが溶け込んでいく。
 あるコンピュータソフト会社から出てきた青年も、個を消す人の波に向かおうとしていた。
 だが、そこに、一人の女性が立ち塞がる。
「湯月か……何か用か?」
 宮田隼人は大学時代からの旧友に、何気なく声をかける。
 湯月藍は、少し緊張しているらしかった。
「ええ。ちょっと話があるの。ついてきて」
 表情とは逆に、声は有無を言わさぬ調子だった。そのまま背中を向けて、歩き出す。
 宮田は一瞬迷ったようだが、周囲の通行人をチラリと見回してからついていく。
 湯月藍が向かったのは、〈カフェ・ブルースター〉だった。二人は一番奥のテーブルに、向かい合って座る。
 店内は、この時間帯にしては客が多かった。二人が席について間もなく、恋人同士らしい男女が談笑しながら、となりのテーブルに座る。
 湯月はローズマリーティーを、宮田はコーヒーを頼んだ。注文した飲み物が来る前に、湯月が口を開く。
「話は、大体予想がついているんでしょう? 裕美のことよ」
 彼女がそう告げるなり、宮田は愕然としたように目を見開いて顔を上げた。だが、すぐに彼は、ポーカーフェイスに戻る。
「ああ、亡くなったんだってね。事件に巻き込まれて亡くなるなんて、不幸な最期だったな」
 テーブルに肘をつき、溜め息混じりに言う。一見残念そうな、はたから見ても死者を悼む者の顔としてどこもおかしくない顔と言えた。
 その顔を、湯月は揺るぎのない視線で見つめる。
 間もなく、注文したドリンクが運ばれてきた。テーブルに置かれてすぐに、二人はカップに手を伸ばす。ローズマリーティーの香りを嗅ぎ、のどを湿らせてから、湯月はコーヒーをすする宮田を見て、次にチラリと、となりのテーブルを見る。
 視線を戻すと、宮田はどこかぎこちなくカップを持ち上げ、コーヒーをすすっていた。彼がカップをテーブルに戻すのを見届けてから、決心したように口を開く。
「あなた……裕美が過激派のビラを配っていたって知ってたはずよ」
 彼女がズバリ言うと、青年は目を丸くする。
「いきなり何を言うんだ? 彼女はオリジナルのはずだろ……きみもそう言ってたじゃないか」
「違うわ。確かに彼女はオリジナルだったけど、彼女が配っていたビラが過激派の物なのは間違いない。かと言って、彼女が短期間で考えを変えるわけない……わたしはずっと彼女の信仰の強さを見てきたもの、一番良く知ってる」
 湯月は目を細めて相手をにらんだ。
「じゃあ、どうして過激派のビラを配っていたのか。自分の意思ではありえないわ。つまり、だれかに配らされていたのよ」
「ぼくを疑ってるのかい?」
 宮田は、心外だ、という調子でことばを返す。
「裕美が浄化教のオリジナルの信者だと知っていて、彼女を短期間のうちに脅迫し、過激派に転向させる、あるいは転向したふりをさせることができる人物……それは、彼女をよく知る人物でないと無理よ。事件当時の状況から、犯人、あるいは共犯者がずっと裕美のそばで彼女の命を盾に、脅迫することはできなかったはず。つまり、裕美を脅迫するには、彼女自身でなくて、彼女の大切なもの……家族を盾に取る必要があった」
 声は変わらない凛とした調子だったが、彼女は慌てたようにカップに手を伸ばし、のどを湿らせた。
「……もし彼女自身の命を盾にしていたら、警戒させてしまうことになったでしょうしね。アリバイと、彼女に警戒させないために、主犯は離れている必要があった」
「そんなことで……」
 焦りの表情は一瞬で消し去り、宮田はせせら笑うように鼻を鳴らした。どうせ証拠も何もないだろうと、たかをくくった態度だ。
 落ち着きを取り戻しかけた彼に、だが、湯月は写真を突き出した。
 思わず受け取ってから、青年は、恐る恐る視線を落とす。写真の中には、色黒で髭を生やした男が、振り返るようにしてにらみをきかせていた。もともとの写真の一部を拡大したものらしかった。
「アジアの元マフィアの一味、ユンジョン・ルファンよ。それに、これもそう」
 湯月は説明し、もう一枚、ポケットから出した写真をテーブルに滑らせる。
 それは、履歴書用の小さな顔写真だった。そこには、いかにもエリートサラリーマンという感じのすっきりした風貌の男が映っている。もう一方の写真の男より、五、六歳は若く見えた。
「同一人物よ。いくら整形しても、変装しても、事実は変わらない」
「それが事実だって……どうしてわかるんだい?」
 値踏みするような宮田の目の前で、湯月は、三枚目のカードを切る。
 実際には、三枚目の写真を出した。それは、他の二枚とは大きく趣が異なっている。
 そこに映し出されているのは、二枚並んだレントゲン写真だった。どちらも、同じ人物の内臓を透かし見たものらしい。
「どんな変装の名人でも、身体の中まで誤魔化すことはできなかったみたいね」
 数年前までは、周到に準備さえすれば、機器を騙すことも可能だった。だが、今はゴートの技術やシステムが輸入され、健康状態を偽ることは不可能になったと言っていい。
「そのレントゲンは、ゴートの中央処理システム内に記録されているわ。あなたは、海外に出張中に彼と知り合い、雇ったのでしょう?」
 宮田の表情が、明らかに変わった。
 湯月は、覚悟のできた顔で相手を凝視する。宮田が、どのように今の状況を吸収し、どのような反応に収まるかを、じっくりと見極めようというように。
 宮田は気持ちを落ち着けようと、コーヒーを一口含んだ。カップを戻したとき、彼は落ち着いた表情に戻っている。彼もまた、覚悟を決めたらしかった。
「それで……どうするつもりだい、藍? 無理矢理警察にでも突き出すとか?」
「自首する気はないの?」
「ああ……」
 首を横に振りながら、彼は右手をジャケットの内ポケットに入れる。
 名刺か、財布でも出すのか。スーツ姿の青年がカフェでする動作としては、怪しむようなものではない――はずである。
 だが、湯月は彼のわずかな動きにも警戒していた。彼女の表情が強張るが、誰かがそれに気づく暇もなく、鈍い光を放つものが宮田の手のひらに滑り込み――
「そこまでよ」
 宮田の手首を、見覚えのある女性がつかんだ。となりのテーブルについていた女性だ。彼女の向かいの席から、連れの男も立ち上がり、宮田をにらみつけていた。その右手には、玩具のように小さな、出力選択のメモリが付いたピストルらしきものが握られている。
「なんだ、きみたちは?」
 不意を突かれた宮田が動揺した目で見上げると、女性が左手で、懐から黒い手帳を取り出す。
 そこには、ドラマなどで誰もが見覚えのある紋章が鈍く輝いていた。
「右手を出しなさい。武器を持っていることはわかってるわ。すでに機能は停止させたから、抵抗は無駄よ」
 店内の他の客が、異変に気づき、注目する。その多くの視線より、目の前の刑事の射抜くような視線に、宮田は怯んだ。
 逃げるように、彼は視線を湯月に向ける。
 湯月の目は、店内の他の者とはどこか違っていた。その目は悲しげで、顔には祈るような表情が浮かんでいる。
 店の外の通りを行く車の喧騒が、どこか遠くに聞こえた。カフェのなかを支配した重い沈黙を、宮田はようやく破る。
「……わかったよ」
 彼はジャケットの内側から右手を出し、テーブルに、男性刑事が持っているものよりさらに二回りは小さな、手のひらに隠れる銃を置いた。

 間もなく、宮田に雇われていた暗殺者も捕まり、事件解決のニュースが街に流れた。事件のあったアーケード街にも、新聞の号外が配られる。
 それをもらい、駐車場へと歩きながら、キサキは見出しを読み上げた。
「〈被害者の同僚・勇気ある説得〉だってさ」
『だいたい、計画通りだったね。犯人の目的も、オリジナルへの牽制だったし』
 キサキのイヤリング型スピーカーから、人ならざる者の声が響く。その、余り飾り気のないイヤリングに、つい数時間前まではなかった、透明な玉石のようなものがはめ込まれている。
「でもなんか、ちょっと寂しいと思わない? 湯月さんのほうはマスコミでいっぱいだろうにさ」
 駐車場の二階への階段を登りながら、少女は言う。
『表舞台で活躍したかったのかね? それなら、何か斬新なことを発見するなり、発明することだね』
「そういうシレールはどうなのさ? 自分が言ったことばが他人のものになってさ」
 湯月は、警察に疑われていた。自らの疑いを晴らすためにもキサキの提案に乗った彼女だったが、彼女がわずかな時間で、すべての状況を頭に詰め込むことができたわけではない。キサキがイヤリング型スピーカーを貸して、シレールが代りに話していたのである。
 舞台裏の苦労をよそに、すべての名誉は操り人形に過ぎなかった湯月に与えられる結果となった。
『べつにいいよ。事件は解決したのだし』
「わたしもそんな感じだね」
 キサキは自分のエアカーに乗り込むと、カードキーを差し込み、エンジンを起動する。周囲とミラーを確認し、アクセルを踏んだ。
「道化師役でもかまわないってとこかな」
 宙に浮かび上がったエアカーのフロントガラス越しに、夜闇に散りばめられた街の灯が映る。何度となく眺めた、故郷の街並み。
 浄化教の予言を思い出し、当たり前のように存在するの風景を失う日が来なければいいが、と思いながら、キサキはエアカーを闇の中に発進させ、風景の中に溶け込んでいった。


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