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破滅への道案内(投稿者:リクタス氏)


「く、来るなあああああ」
 久々に人を見た。だが、いつもと反応は同じ。私を見れば皆逃げる。この男も例外ではなかった。
私と目が合った瞬間に森の中を走り出したのだ。
 所詮は弱い人間。私の敵ではない。走って逃げる男など、簡単に追いついた。ここは私の森だ。
逃げられるものなどいない。
 男の襟元を掴み、木に叩きつけてやった。
「や、やめてくれ。」
 そうしたら男は目を大きく見開いた後、すぐさま土下座した。私はそれがより不服だった。
 この愚か者に私はわざと嘲笑してやった。
「ご希望通り、殺してあげましょう。」
「お、俺が何をした?」
 こいつは自分の罪を自覚していないのだ。尚更気分が悪い。もう一回木に叩きつけて、睨み付け
てやった。
「私を見て逃げた。そんな人間に生きる資格など無いのです。
 貴方が何もしていないというなら、私のほうこそ貴方に何をしましたか? 何もしていないのに、
逃げ惑ったのではないですか?」
「す、すまなかった。だから命だけは……。」
 まだ命乞いを続ける。これだから人間は嫌いだ。もう、こいつの顔は見るのでさえ、不快だった。
「死ね。」
 そう一言呟き、私はこの者の首をへし折った。


「昨日は特に不愉快だった。」
 このようなことを繰り返すのは、もう何回目だろうか。今日は幸い誰にも会っていない。
 一人でいることは辛い。だが、人間に遭遇するのも辛かった。
 それに私を別視する人間をいくら殺しても、気がすまない。何より殺したいのが、この自分なの
だから。
 ふと物音が聞こえた。私はそちらに目を向ける。
「混沌の竜?」
 一人の少年と目が合った。歳は十に満たない位だろうか、質素なぼろ布を身に纏っている、痩せ
た体格。
 こんな少年が森の奥地まで来られるのか。疑問だった。それに、珍しい。人間の癖に怯えていな
い。私のことは嫌でも知っているはずなのに。
 私も珍しく好奇心が沸き起こり、その少年に話しかけた。
「いかにも私が混沌の竜ですが、なにか?」
 私こそが『混沌の竜』と呼ばれる、世界に稀な悪魔と白竜の混血なのだ。人間は見ただけで恐れ、
世間では『破滅への使者』とも言われていた。
 白竜という神の使者と、悪魔という魔界の使者の混血。
 そのイレギュラーを目の前に、少年は歩み寄ってきた。恐れもせずに。 不可解だ。
「用件があるなら、早く言いなさい。」
 私がその子供を一睨みした。それなのに動じない。こんなことはかつて無かった。
 少年はすぐ傍までやってきて、私を見上げた。
「……殺してください。」
 私は怪訝そうに目を大きく見開いた。少年が嘘を言っているようにも見えない。かといって、少
年の言葉が本当だとも思えない。助けてくれと言う人間はいたが、殺してくれと言う人間は初めて
だ。
 戸惑っていたら、その少年が抱きついてきた。
「親がこの森に捨てたんです。僕は存在してはいけないんです。」
 こちらを純粋な瞳で見つめる少年。その姿に少し腹が立った。
「だったら一人で死になさい。」
 私はきつく言い放った。少年が涙を浮かべる。
 私と同じで、誰にも相手にされない境遇。寂しかっただろう。
 だが、私がいつまで経っても出来なかった、『自殺』という行為。それを私に手伝えというのか。
 今回もいつもと何等変わらない。不愉快だ。
「私には関係ありません。」
「だったら僕はどうすれば……。」
 私から離れて、少年は問うた。
「自分で考えなさい。一人なのは貴方だけではない。死にたいのなら助けなど借りず、自分の手で
死になさい。」
 私は一つ溜息を吐き、空へ向かって飛ぼうとした。
「待ってください。」
 少年が呼び止める。だが、私はそれを聞き入れず、澄んだ天空へ向かって飛び立った。
 が、しかし、嫌なことは続けて起こるものだ。
「火事か……。」
 森が焼けている。それもとんでもない広範囲だ。煙が立ち昇り、この空までたどり着きそうだっ
た。私はすぐに少年もとへ戻った。
「早く村にでも帰りなさい。」
 少年は唖然としていた。置いていかれたと思ったら、すぐに戻ってきたのだ。
無理もない。
 だが、私はこの少年の反応がもどかしかった。
「早く帰りなさい。このまま焼け死にたくなければ早く!」
 私は力いっぱい怒鳴った。そして牙を見せ付けて少年を脅かしたりした。
 しかし、少年は目を白黒させるだけで動じない。
「捨てられて、帰るところなんてないよ。それに僕は死にたい……。」
「いい加減にしなさい! 子供は大人しくしていれば良いのです! ともかく、安全な場所に避難し
なさい。私は火を止めに行きます。」
 再び怒鳴った。今度は威嚇の意味ではない。本当に苛ついたのだ。
 火の勢いは半端ではない。このままでは、こんな小さな森一つぐらいすぐに消え失せてしまうだ
ろう。
 私は焦っていた。急いで火のもとへと飛び立つ。
「僕も行く。」
 少年が飛び乗ってきた。一瞬また怒りたくなったが、そんな暇もない。今は火を消すことが先決
だ。深緑の森の中を全速力で飛んでいった。

 火の粉と共に失われていく木々。一度死んだ者は生き返ることなどない。枝が半分以上焼けてい
る木は見捨て、私は強大な力を持ってなぎ倒した。
 私は水竜ではない。火を消すためには、叩きつけて消すぐらいしか出来ない。
 次々と燃えている木々をなぎ倒し、火を消す。背中に子供が乗っているのでやりにくいが、降ろ
すのも気が引けた。
「まだ火が迫ってるよ。どうするの?」
「黙ってみていなさい。」
 いまだに火は止まらない。それだけ広範囲を焼けつくしていたのだ。
 どれだけ時間が経っただろうか。なぎ倒した木は百を超えそうだ。
「いたぞ。混沌の竜だ。」
 不意に人間の声が聞こえた。私はそちらに向かって睨む。
 そこにはたった一人、初老の男がいた。どうやら驚いた様子だ。逃げない分、今回は凄い。
 でも、私自身も驚駭していた。
 その人間は片手に松明を持ち、森を焼いていたのだ。
「皆集えー。混沌の竜を退治するぞ。」
 初老の男が声をあげる。すると下等な人間どもが一斉に現れた。
 剣やら農具やらを握り締めている男どもだ。ざっと五十人と言ったところか
 森を焼いていたのはこのためか。この『混沌の竜』を退治するためだけなのか。
 私の人間に対する怒りは増大した。
「馬鹿なことを……。消え失せなさい!」
 私は完全に理性を失っていた。爪を人間に向け、前足を振り回した。
 相手は弱い人間だ。いくら剣や弓など武器を持ったところで敵うはずもない。それに、暴れ始め
た私を止められる者などいない。
 次々と吹っ飛んでく人間。聞こえる悲鳴。仕舞いには逃げ惑う者までいる。私は森の木々に与え
た恐怖を、そのまま人間にも与えたかった。
 まだ殺さない。じっくり恐怖を与えてから殺す。私はまさに悪魔の血を引いていた。
 愚かなのだ。人間も私も。
「やめて!」
 背中につかまっていた少年が叫ぶ。
 それを聞いて私は反射的に手を止めた。そして首を後ろに向け、少年の顔色を窺う。一目見てす
ぐに気付いた。
 ……少年は泣いていたのだ。
「どうしたのです?」
 私は怪訝そうに、少年に問うた。
「貴方を見捨てた人間でしょう。所詮は貴方も人間だから、同族を慈しむのですか?」
 少年は悲しげに、それでいて初めて怯えた様子で答えた。
「確かに同族を慈しんでいるのかもしれません。でも、私の同族は人間だけじゃない。あなたも僕
の仲間なんです。」
 私は唖然とした。こんなことを言った人間は初めてだ。
 人間どももざわついた。
「子供まで誘拐するのか? まさに『混沌』だな。」
 人間の一人が嘲笑った。先ほどの初老の男だ。
 私の心境は複雑だった。私を馬鹿にするこの初老の男が、異様なほど憎かった。それに、私はこ
の男ぐらい簡単に殺せる。
 だが、そんなことをすれば少年を裏切ることになるのは明白だ。
 裏切る……。何故? 何故? 私はいつの間にこの少年の仲間になったのだろう。
「破滅への使者は消え失せろ。」
「黙れ。」
 確かに今までの私なら『破滅への道案内』をしていたかもしれない。でも、今日は違う。
「私は混沌の竜。無秩序が生み出した存在。それと同時に人間を破滅へと導く者。」
「そうだお前は混沌の竜だ。そしてここで死ぬのだ。」
 初老の男が矢を放った。
「無駄です。」
 人間がいくら抵抗したところで私を殺すことは出来ない。自殺しようにも出来なかった、この体
を壊すことは出来ない。
 矢は私の体にこそ命中したが、突き刺さることなく弾き返された。
 呆然と突っ立っている男に私はあえて嘲笑した。
「私は混沌そのもの。故に道案内も混沌。破滅へと誘うのは今度にします。楽しみにしていなさ
い。」
 言い訳だ。
 私は天空に向かい空を飛んだ。何故この判断をしたのか分からない。
 ただ、私は少年を悲しませたくなかった。初老の男が腰を抜かしているのを眺めながら晴天下の
空へと向かった。
 見る見るうちに、人間どもが小さくなっていく。森のことなどどうでも良くなった。私さえいな
くなれば、火は人間が勝手に消してくれるだろう。


「ありがとう。」
 蒼空の中で少年は呟いた。
 私は言葉を返すために長い首を後ろに向け、少年に話した。
「私は貴方に一つだけ伺いたい。何故人間を庇ったのか?」
 問うたら少年は悩んでいるようだった。俯いて首を傾げていて、それでいて時折私の目の色を窺
っていた。
「姉ちゃんが人を殺す所……見たくなかった。」
 私は驚いた。
「姉ちゃん…。よく私が女だと気付きましたね。」
 種の違うものが、性別を見極めるのは限りなく難しい。
 それなのにこの少年は言い当てた。
「何で分かりましたか?」
「なんとなくそんな気がしたから。それに、同族だもの。」
「同族か……。」
 『白竜と悪魔の混血』。これは、中途半端な生命体であるとともに、善悪が混じった人間と同じ
だったのかもしれない。
 嫌われるも、好かれるも自分次第なのだ。私の嫌いな人間は、何よりも私に近かった。
「仲間なら一緒に生きましょう。もう、一人ではありません。」
 だからこそ感情的に、そして初めて仲間といってくれた少年に恋したのだ。
 たとえ年齢差があろうとも。


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