モラトリアムの焚き火(投稿者N氏)



 二月も半ばを過ぎたといってもまだまだ私の住んでいる町は雪に埋もれている。ここは雪国、電車は時刻表を確認しなければ時には一時間も待ちぼうけを食わされる田舎町。だけど隣近所のおばちゃんと囲炉辺会議をしたり、子供達とかくれんぼしたり出来る親しみやすい町だ。
「やっぱり帰ってきて良かったなぁ。」
と言いながら、大きく伸びをして冷たい朝の空気を思いっきり吸ってみる。今朝は昨夜からの雪もすっかり止んで、雲一つなく晴れ渡っていて清々しい気分を倍加させる。
「久しぶりってな感じだわ。」
 大きく息を吐き出して、テラス窓から庭を眺めると、松はこんもりと雪帽子を被り池には氷が張っている。こんな雪の景色を子供の頃からずっと見ていたんだとふと思った。
「さーて、さっさと燃やしちゃいますか。」
と昨夜あちこちひっくり返しながら整理した手紙の束をちゃんちゃんこの袖から出そうとした。でもどうせ燃やすなら焼き芋でもしようと思い直した。
「ねえ、お母さん、さつまいもは台所にあるの。」
 すると茶の間の方から、
「ないわよ。」
と母が答える。でも一昨日は山ほど台所に積んであったような気がするのにと首を傾げながら更に聞く。
「うそっー。だってあんなにあったじゃない。」
「何言ってるの。昨夜さつまいもの甘露煮食べたべ。」
「ああ、でもさ、あんだけあったの全部煮ちゃったわけじゃないでしょ。」
 パタパタとスリッパの音をさせながら、母が何事だというような表情で様子を窺いにきた。そして全開にしてあったテラス窓を見つけると、
「何やってんの。どうりで寒いと思っだぁ。で何、さつまいもなら近所さおすそ分けしたよ。家に山ほどあっても腐っちゃうべ。なんか作るつもりだったのがぁ。」
と家に居た頃は料理などしなかった私を不思議そうに見る。確かに料理どころか掃除もろくすっぽせずに殆ど母任せの私がいきなり手料理とは考えにくいかもしれない。
「ちょっと庭で燃やすものあるから、ついでに焼き芋でも作ろうかと思って。」
「ふーん。焼き芋ね。」
「なにっ、悪い。」
「そんなことないけど。……。まああんたが焼き芋したいんなら、そこの八百屋で買ってくれば。」
 そう言うのだったが、急に焼き芋などと言い出した私を探るような視線でちらりと見る。だがすぐに興味を失くしたようにトレーナーの肩口から手を入れてぼりぼりと左肩をかいた。
 八百屋は家から一、ニ分もかからない所にあるのだが、わざわざさつまいもを買いに行くのも面倒になり、私の本来の目的である手紙を燃やすことを最優先させたいと思った。
 そんなやりとりをしながらずっと雪の上に突っ立ていたせいでサンダルのつま先がじんじんと冷たくなってきた。
「さむっ。お母さん、焼き芋は諦めるからもう戻っていいよ。」
 いくら母でもこないだまで同棲していた男から貰った手紙を燃やすところなど格好悪くて見せたくないと思ったので、母をさっさと家の中へと戻らせようと焼き芋断念を伝える。だが母は一向に戻る様子もなく私をじろじろと見る。
「朋子、あんた水も用意しないで焚き火するつもりなの。」
 そう言われてはっとなった。燃やすことばかりに気が取られ火を消す用意など考えていなかった。
「焚き火もいいけど、この家まで燃やしたらシャレになんねよ。」
 誰も家まで燃やさないよと思いっきり反論したかった。しかし冬の空気は乾燥しているから、火の粉が万が一でも移ったら大変なことになる。
「お母さん、台所で水汲んできて。」
「自分で持ってきなさい。」
「ケチんぼ。お母さんの方が断然近いじゃない。」
「小学生じゃあるまいし、そこまで甘やかす義理はない。自分が焚き火するなら自分で用意すんのが当たり前。」
と言った母の声は少し甲高くなり口調もまくし立てるようだ。確かに自分で用意するのが筋だが、台所に近いのは母なのだ。それにさっきまで暇そうに朝のワイドショーを見ていたのは誰なのよとそう心の中で毒づいた。それでもこれ以上文句を言われる前に自分で動いた方が得策だと思い、テラスから台所へとかじかむ両手をこすり合わせながら移動する。
 台所ではストーブにかけられた薬缶からしゅわしゅわと湯気が立っていた。私は台所のシンクにバケツを突っ込み水を出す。そしてバケツに水が溜まるまでの間にちょっとでも体を暖めようとストーブに被さるように近づく。
「ああ、あったかーい。」
ストーブに手をかざすと体がやっと暖かさにありついたためかぶるるんと身震いした。
「折角床暖房入れたんだったら、入れればいいのに。なんでストーブだけで震えてなきゃいけないのかね。全く。」
 一年ほど前、父の改築するぞとの鶴の一声で改築したものの、作った床暖房もジャグジー付きのお風呂もたいして役にたっていないというこの家の不思議さには、娘の私でも時々首を傾げたくなる。そんな事を思っているとバケツから勢いよく水が溢れ出す音が聞こえ、急いで蛇口をひねり水を止める。私は満杯になった水をいくらか流し、床にこぼさないように気をつけてテラスへと運ぶ。すると何やら母が庭の雪を移植シャベルで掘り返している。
「なにしてんの。」
「見ればわかるべ。焚き火する場所の雪を投げてんの。」
「へっ。雪あっても別に関係ないんじゃない。」
「燃えるわけないでしょ。燃えても雪の水分吸ってすぐ消えっべよ。」
まるで母はものを知らない娘だねと言いたげだ。でもそんなに盛大な焚き火をするわけじゃないんだからと喉まで出掛かった言葉を辛うじて飲み込む。
「ああ、そうなの。ありがとう。あともういいよ。」
「はーっ、なあんでそんなに母さんを邪魔にすんの。ここにいちゃいけないの。」
 僅かだが私の右眉がぴくっと動く。すると母は何かを察したらしく、無言のままくるりと背を向けて家の中に戻って行った。
 母がちゃんと茶の間に戻ったか見届けてから、袖から二十通ほどの手紙の束を出す。それをすっかり顔を出した土に置きしばらく見つめる。
 私は急に叫びたくなった。でも結局叫ばなかった。その代わりに緑色の封筒の端に火を点けた。瞬く間に火は燃え広がり次々と手紙が赤く炎をあげる。赤い炎はもうもうとした黒煙に姿を変えていく。私はその空高く昇っていく黒煙をしばらく目で追ってみる。赤い炎から黒い煙、そして青い空へと色が混じり合いながらもそれぞれの色を濃くしていく。空を見上げ続けていると煙が目にしみる。私は掌でぐいっと瞼をぬぐった。
「……。しみるもんね。煙って。あーあ、燃えちゃった。」
 私は移植シャベルで真っ黒で薄っぺらな燃えカスになった手紙をくしゃくしゃと叩いてみる。するとそれは何の手応えもなく粉々に崩れ去っていく。
「こんなもんか。……。やっぱり焼き芋でもしようかな。」
 私は立ち上がり、
「お母さん、焼き芋食べんべ。ちょっと買ってくるねぇ。」
と大声で呼びかけてさつまいもを買いに走る。ざくさくと音を立てながら雪の中に踏み込む。面倒くさがってサンダルのまま来てしまったので、脇や後ろから雪が入り込んでもごもごと感じられる。仕方ないので雪を取り除くために片足立ちでサンダルの雪を落とそうとした。しかし不安定な足場に私の体は左右に揺らぎ、あっと言うまに尻もちをついてしまった。
「痛っ。」
ズボンやちゃんちゃんこについた雪を払いのける。そして腰をのばしながらぐるりと周りを見渡す。こんなみっともない姿を誰にも見られたくない。だがそんな気持ちとは裏腹に雪に埋もれたこの町が今朝はなんだかとても綺麗に見えた。
             完