風 輪 −ふうりん−(投稿者X氏)
上履きを履き替え校庭に出ると 雪が、降っていた。
「あ、初雪だ!」
一緒に教室を出たミカが嬉しそうに空を仰ぐ。場所は北海道、季節は秋の終わり。雪が降っても不思議では無い季節だ。
しかし、あたしにとって今年の初雪は特別な意味を持っている。
「ごめんミカ、あたし予備校休むね!」
「え、ちょっとカオリ!?」
ミカに鞄を押し付け、あたしは駐輪場へ走った。いつもの場所に停めてあるスクーターに跨り、全速力で校門を飛び出す。頬に当たる雪に構わず、あたしはスロットルを開き続けた。
「 天気予報は雪降るなんて言ってないじゃない! 」
◆
彼を見つけたのは夏の終わり。
あたしが家に帰ると、家の隣にテントが張られていた。その隣に古くて大きなバイクが停まってたので、この季節によくいる旅人かと気にも留めなかった。しかし家に入ると見知らぬ男がお母さんとお婆ちゃんの3人で談笑していたのだ。出先でお母さんの車がパンクし、偶然通りかかったその男に直して貰ったそうだ。
男の名はナツキ。苗字は不明。興味無かったので聞いない。出身地不明、年齢不明、職業不明。見た目はハタチくらいで、顔はまぁ並より上かな。愛想の良い笑顔で外面は良いが、あたしはコイツほど傍若無人な人間を知らない。
「なぁ!」
あたしが図書館へ行こうとスクーターを出していたら、ナツキが声を掛けて来た。
「何ですか?」
「山に登りたいんだけどさ。見晴らしの良い、おっきい山に。」
思わず眉を寄せるあたし。何言ってんの、この人?
「今日良い天気だろ? 走りに行かなきゃ勿体ないよ。カオリちゃん、この辺りの事詳しい?」
「カオリちゃんとか呼ぶな!」
そう怒鳴りつつも、あたしはつい眺めの良い山はどこかと考えていた。昔は良くお父さんに山や海へ連れて行って貰ったっけ。昔の記憶を掘り起こすと、一つの場所に心当たりがあった。家から見える遠くの山。あの山の展望台から、お父さんと見た景色は今でも鮮明に覚えている。
「一応知ってるけど・・。」
「本当? それじゃ案内してくれよ。」
「え!」
思わず声を上げてしまうあたし。人が図書館で受験勉強に励もうとしてるのに何て迷惑な奴だ。
しかし、ふと思い出したあの景色をまた見たくなってきた。丸一日勉強漬けも良くないし、景色の良い所で気分転換も悪くないかな。
「ま、いいけどさ。」
そう言いながらあたしはスクーターのセルボタンを押す。
「よし、頼むぜカオリン。」
「カオリンとか呼ぶなッ!」
ナツキもバイクのキックアームを踏み降ろし、エンジンに火を入れた。
しかし、あたし達が展望台へ到着したのは予定より5時間程遅れた夕刻だった。理由は単純。あたしが道に迷ったからだ。あたしは展望台に到着するなり、スクーターから転がり落ちた。
「つ、疲れた・・。」
「こらカオリン、そんな所で寝てないで展望台登るぞ!」
「ひぁっ!」
ナツキは地面に寝転がるあたしを抱え、展望台への階段を上り始めた。頼む、恥ずかしいからやめてくれ。5時間以上も走り回ったのに何でこんな元気なんだ?
『うわ・・』
差し込む日の光にあたし達は息を飲む。眼下に広がる景色、全てがオレンジ色に染まっていた。こんな時間に山の上から景色を見る機会など無いので、あたしは思わずその鮮やかさに見とれてしまった。そしてそれはナツキも同じようで、あたし達は暫く言葉を失っていた。
「ごめんね、着くの遅くなって。」
「何言ってんだよ。まっすぐ着いたらこんな凄い夕日見れなかったろ。それに道中もけっこう楽しかったし。」
楽しかった?
道を間違え湖沿いの道を大回りしたり、山を余分に越えてしまったり、トイレを求め半泣きでコンビニ探し回った事が?
「まぁ、ね。」
あたしの返事にナツキは「だろ?」と笑って見せた。
なかなか、いい笑顔をする奴だ。
「昔、お父さんに色んな所へ連れて行ってもらったから。色々教えてあげるわよ。」
「あぁ。」
その一言がいけなかった。
それからというもの、ナツキは海が見たい、草原が見たい、キツネを見たいなど、子供のような要望を連発するのだ。それだけなら良いが、何故かあたしもナツキと一緒に走り回る羽目になっていた。
まぁ、嫌々言いながら付き合ってるあたしもあたしなのだが。
しかし、昔お父さんと見た景色を僅かな記憶を頼りに探し、ナツキに見せてやると、あいつは本当に嬉しそうな顔をしてくれるのだ。それに、昔連れてきて貰った場所へ自分の足で来るという事でお父さんに近づけたような気分になり、それが嬉しくて、懐かしくて、楽しかった。
ナツキはあたしの家の隣を拠点に北海道を走り回った。あたしも巻き込まれて沢山の観光地や自然地へ足を運ぶ事になったが、なかなかに面白い。ただ、受験勉強が疎かになりがちなのは否めないけど。受験失敗したらナツキのせいだ。
そして、あれはナツキがウニを食べたいと言い出し、とある漁港へ走り行った時の事。
「ほんと、アンタ走るの好きね。何が面白いの?」
向いでウニ丼をかき込むナツキに問いかけると
「お前はそんな無粋な事を考えるのか?」
「何よ、考えたら駄目なの?」
「面白い事の何が面白いか、そんな事を何で考える必要がある?
面白いと思った事は面白い事。それでいいだろ。理由が必要か?」
まぁ、ナツキの言う通りかもしんないけどさ・・でも、何か理由があるでしょ。
「走って景色見てメシ食って・・って、ほらな。走る事の楽しさは言葉では伝わらないんだよ。」
確かに、走って景色見てご飯食べて・・と、第三者が聞いても、何が楽しいのか分からないだろう。しかし、これがやたら楽しいのである。分かるかな、分かんないだろうな。
「そーね。何が楽しくて走るんだろうね。あたし達?」
「分からん。でも、楽しいからいいんだよ。何でも。」
「そっか。」
ナツキのさっぱりとした結論が痛快だった。
「でも、いつまでもこんな事してる訳にいかないか。」
ふと翳ったナツキの顔にあたしは何故か不安を覚えた。
「あんた、いつまで北海道に居るのよ?」
「できるだけ。雪が降って走れなくなるまで楽しむつもりだよ。」
ナツキの"これから"について言葉を交わしたのは一度だけ。その返事はあたしの耳に焼き付いていた。
ナツキは雪が降り始めたらいなくなってしまう。
◆
ドドドン
湿った排気音を響かせ、古いバイクが目の前を通り過ぎた。ナツキだ。
「ちょっ!」
あたしは慌てて追いかけたが、一人で走るナツキのバイクは速く、あたしのスクーターでは追いつけなかった。突然、どうしようもない焦燥感に駆られる。このままナツキと会えなくなってしまう気がした。
そう思うと、あたしは無意識のうちにクラクションを鳴らし続けていた。隣の車のおっちゃんや、畑作業をするおばちゃんが驚いた顔であたしを見ている。何をしとるんだ、あたしは。
前を走るナツキが、阿呆みたいな顔であたしに振り向いた。
「どうした。今日は予備校じゃなかったのか?」
「ゆ、雪が降り始めたから慌てて帰ってきたのよ!」
いつもの調子のナツキに、あたしは食ってかかった。ナツキは驚き、そして苦笑した。
「あんな些細な会話を覚えてたのか?」
覚えてたと言うのが何故か気恥ずかしく、あたしは口ごもる。ナツキのバイクには荷物が沢山積まれていた。
「帰っちゃうつもりだった?」
「あぁ、道が凍る前に町を出なきゃな。急いで荷物纏めて ・ ・
って ・ ・ 嘘だな。お前と面と向ってお別れするのが嫌だったから逃げてきた・・って所か。
ごめん。こういうの苦手なんだ。」
自嘲するナツキに、あたしは思わず毒気を抜かれ ・ ・ いかん。ここでテンションを下げると当分沈みっぱなしになりそうだ。あたしは自分に気合いを入れる代わりに、ナツキの足を蹴飛ばした。
「ッ、何しやがる!」
あたしは文句に取り合わず、ポケットから取り出した紙袋を彼に押し付けた。あたしに押し付けられた紙袋を眺めるナツキ。視線だけで、開けていいか?と聞いてきたので、あたしは無言で頷く。
「 お 」
ナツキの手には、紙袋から出された交通安全のお守りが収まっている。
「昨日、神社で買った奴。アンタにあげるつもりだったのよ。」
ぽかんとした顔で突っ立っているナツキ。沈黙が重い。何か言えよ、あたしが気まずいじゃないか。
「よ、用はそれだけよ! じゃぁねっ!」
沈黙に耐え切れず思わず背を向けたあたしに、ナツキが口を開いた。
「この前の、走る事の何が面白いかって話だけどさ。」
背を向けたままナツキの言葉を聞くあたし。
「きっと、お前と一緒に走ってたから、最高に楽しかったんだと思うよ。」
突然、訳の分からない気持ちがこみ上げてきた。もう、ナツキに顔は向けなれそうに無かった。
「お守りありがとう。凄く嬉しいよ。」
「うん」
「俺を探して呼び止めてくれた事も。悪かったな。」
「うん」
「じゃ、行くな。」
「うん」
「またな。」
「また、なんて曖昧な言葉使わないでよ。
来年の夏も一緒に走るわよ。まだ行ってない所あるんだから!」
「あぁ。じゃぁ、夏に。」
「うん、絶対よ。」
「あぁ、絶対。」
背後からナツキの手が差し伸べられた。あたしは右手でナツキの手のひらを叩くと、背後のナツキが笑ったような気がした。
ドドン
ナツキのバイクの音が響き、遠ざかってゆく。濡れた頬を擦りながら振り向くと、ナツキの姿はもう見えなかった。最後にナツキの笑顔、見ときゃ良かったかな。
こうして、突如訪れた、私の身近な非日常は終わった。
身近な非日常。
あたしにとって、お父さんとの思い出の場所へ行くのも、見知らぬ街を走るのも、間違いなく日常から外れた不思議な時間であった。意外と身近にあった、新しい視点から見る世界。それに気付かせてくれたナツキには本当に感謝したい所だ。
そしてそれが最高に楽しかったのは、ナツキと一緒に走っていたからというのも理由だったのかな。
それに気付いたのは、ほんのついさっきなのだが。
さてさて。今度あたしの非日常が訪れるまで半年以上もあるけれど
次は
どこへ行こうかな?