超探偵シュン(投稿者Y氏)
俺はシュン、海棠駿。
高校生にして稀代の名探偵だ。
今まで俺は、数々の難事件を解決してきた。
多くの犯罪者と出会った。
人生はリセット出来ない。なのに人は簡単に犯罪というステージに迷い込む。
何人かの友人知人もバッドエンドしかない闇の中へと堕ちていった。
だが見過ごすことは出来ない。一人でも多くその闇から救い出したい。
俺にはその為の力がある。
いつもの学ランに身を包み、今日も犯罪へと立ち向かう。
人は俺を、探偵を超えた探偵、『超探偵シュン』と呼ぶ。
俺は謎の犯罪組織に追っていた。
クライム・クリエイターズ、通称『くれくれ団』。
やつらは裏社会の奥深くに潜んで暗躍している。
俺も何度も命を狙われた。やつらの犯罪を俺の超推理で阻止したからだ。
構成員は幅広い。女、子供、老人もいる。良き隣人として振る舞う裏側に、極悪犯罪集団の顔を隠しているのだ。
徹底した秘密主義を貫き、特別な、それでいてさりげない合図で仲間と連絡をとる。
握手、言葉の端々、衣服やアクセサリーの身につけ方、果てはスナック菓子の食べ方に至るまで。
特にスナック菓子の袋の口を三重に折って、その中心を洗濯ばさみで縦に止めるのがやつらの特徴で「組織の秘密は絶対に守る」という意味だ。
そして今、俺は構成員の密会現場にいた。ひょんなことから情報を得たのだ。
待ち合わせ場所は人通りの多い公園。
周囲を緑に囲まれ遊具の並ぶ広場、その片隅のベンチに、二人の男が座っていた。どちらも普段着で犬を連れ、端から見れば散歩の途中で世間話、とでも映るだろう。
俺はベンチが間近に見える背後の繁みに潜んでいた。
もうかれこれ三十分、だが男達は動かない。不安を感じ始めた時、俺は目撃した。
一人が、持っていたスナック菓子を差し出したのを。その口は洗濯ばさみで縦に止められていた。
間違いない! くれくれ団だ!
その時の俺は興奮して少し迂闊になっていた。
俺が踏み込んだ足元から小枝の折れる音が響いたからだ。
男達が振り返る。
その次の瞬間には男達は頷き立ち上がると、こちらに向かってきた。
まずい! 俺は後ろに駆けだした。
やつらに捕まったら確実に殺される。そんなバッドエンドはゴメンだ!
俺は駆けた。繁みを飛び越え、夕闇に沈みむシーソーを踏み台にして。
男達は執拗に追ってきた。その足は早い。しかも停止を促す余計な言葉は一切ない。それが逆に冷静さを感じさせる。だが俺もプロの探偵、簡単に捕まるもんか!
しかし程なく俺は、袋小路に追い込まれたことを知った。公園を取り囲んでいるフェンスが目の前のそびえ立っている。高さは三メートルくらい、視界の端から端まで塞いでいた。
くそっ、どうする? よじ登るか? ダメだ、やつらのほうが早い!
その躊躇が俺を絶対絶滅に追いやった。
背後で足音がして、振り返った時にはもう男達が目の前にいた。
やつらは息も乱さず、にじり寄ってくる。
ちくしょう! と覚悟を決め、拳を構えた。
その瞬間。
視界が真っ白に輝いた。全身を凄まじい電撃が駆け巡る。まるで落雷だ。バリバリと音を立てて放電する。
俺は叫んだ。
何が起こったんだ!
しかし直ぐに何も考えられなくなり、俺の視界は暗転した。
長い夢を見ていた気がする。
瞼の向こうが眩しくて目を開けると、そこには俺の顔を覗き込む少女がいた。
「お母さん! お姉ちゃん、気がついたよっ!」
甲高い声が頭の中で反響する。全身がだるい。俺はどうしたんだ?
「ほんと? 良かったあ!」
やってきた四十前後の女性。黒いセーターに濃い柄のスカートの、やや太り気味のどこにでもいそうな主婦だ。
少女も胸にイラストが入った袖が紺の白いTシャツにジーンズ。小学四、五年生くらいか。特別なところはない。
「もう、お姉ちゃん、ホントにバカ!」
お姉ちゃん? 俺は男だぞ?
「ルン! そんなこと言っちゃダメ! 大事がなかっただけで良しとしなきゃ!」
だって! と、ルンと呼ばれた少女が頬を膨らませる。
俺は体を起こそうとして、胸に違和感を覚えた。突っ張っていて妙に重い。視線を下げると。
パジャマらしい胸の隙間に膨らんだものが見えた。
まさか?
俺は震え上がった。慌てて胸をはだける。それは確かにそこに付いていた。
女に、俺が女になっている!
母親が怒る。
「こら、リン! はしたない!」
いや、違う。
恐らくこの体は、リンという少女のものだ。リンの中に俺の意識が入っている!
「お、俺は」
俺? と、ルンが首を傾げた。そして母親と顔を見合せ、溜め息をつく。
「やっぱり、お医者さんの言った通りだ」
「ルン! 本人が思い出すまで話しちゃダメよ!」
何? どういうことだ?
「俺は探偵の海棠駿だ。一体、俺はどうしたんだ?」
ぷっとルンが吹き出す。
「シュンだって! ホント、バカ!」
怒りが込み上げる。俺のこと何も知らないで!
俺は部屋を見渡した。恐らくリンの部屋だ。ポスターや縫いぐるみがあり、クローゼットには学校の制服が吊ってある。俺はベッドの上にいて、向こうに勉強机、テレビ、オーディオ機器が並ぶ。部屋は全体的にピンク掛かっていて女の子らしい。カーペットにはゲーム機やゲームソフト、スナック菓子の袋が見える。
「ずっと心配してたから喉が乾いたわ。二人ともお茶いる?」
いる! と、ルンが言う。俺も頷いた。確かに喉が乾いていた。母親は部屋を出て行った。
ルンが物珍しそうに眺める中、冷静に考えてみた。
俺はどうしてしまったんだ? 何故リンなんて少女になっている?
考えつくのはひとつ。
あの落雷のような電撃。あれが原因?
まさか、くれくれ団か?
きっとやつらに、俺の意識をリンの中に封じ込められたんだ。組織に迫りすぎたか? それにしてもこんなことが出来るのか、目的は?
くそう! なんてこった! ひょっとするとルンや母親もやつらの仲間ではないか?
考えるほどに俺は思考の迷路に陥った。
その時、俺はあるものを捉えた。その瞬間、背筋に冷たいものが走る。スナック菓子の口が折られ、洗濯ばさみで縦に止められていたからだ。
やっぱり、くれくれ団だ!
ルンは俺を眺め飽きたのか、そのスナック菓子を手にとった。
「食べる?」
無邪気さが俺を緊張させる。
ダメだ、ここにいれば何をされるか判らない。いや、このままリンという少女にされてしまえば俺はシュンでなくなる! こんなエンディングは存在しない!
差し出された袋を払いのける。そして意を決して立ち上がった。頭がふらつくが何とか堪える。パジャマは逆に動きやすかった。
早くここから脱出しなければ!
「お姉ちゃん?」
「違う! 俺は海棠駿だ! お前、くれくれ団だな! 何を狙っているかは知らないが、俺にはバッドエンドなんてないぜ!」
そう叫んでベッドから飛び下り、ドアに向かってダッシュする。体は思い通り動いてくれた。
ドアノブに手をかけようとした時、それよりも早くドアが開いて母親が現れた。
「あぶない!」
ルンと母親が同時に叫ぶ。
俺は停まることが出来ず、母親に激突した。手にした盆が跳ね上がり、茶を入れた湯飲みが三つ、宙に舞った。
俺は後ろに弾き飛ばされていた。
そのままカーペットの上に尻餅をつく。顔の側にはゲーム機があった。これに頭を打ちつけなかっただけでも幸いだ。
「イテッ!」
頭の上に湯飲みが降ってきた。ひとつは直撃、二つは床に落ちたが、俺は全身、お茶に濡れてしまった。
「何をしてるの!」
母親が怒鳴る。ルンも俺を睨んだ。
くそっ! と、俺はゲーム機を掴んで振り上げた。ここから脱出する為には少々の手荒なことも!
「あ、バカ! お姉ちゃん、それ!」
ルンが叫ぶ。俺が、え? と思った瞬間。
またしても、あの電撃が俺の全身を駆け巡った。強烈な痛みと痺れが脳を痙攣させる。
「ぐあーっ!」
叫び声を上げながら、俺の意識は途絶えた。
「あれ?」
長い夢を見ていた気がする。
お母さんとルンが惚けた顔であたしを見下ろしていた。
あたしは床で寝転んで、体が濡れてる?
手足が痺れている。全身がだるい。
「お母さん、ルン、あたし、どうしたの?」
二人が目を丸くする。
「元に戻った?」
「全く、この子と来たら」
溜め息が二人から漏れた。
あたしはゆっくりと起きて座った。
ルンがあたしの顔を覗き込む。
「ホントにお姉ちゃん?」
「当たり前よ! 何があったの?」
覚えてないの? とルンが聞き、あたしは首を振った。
それだよ、と指を差され、手にとった。
『超探偵シュン』、あたしが今やってるゲームだ。
「昨日、それやりながらお茶をこぼしたでしょ」
首を振る。全然覚えていない。
「もう! それでゲーム機が濡れて、拭こうとして感電して倒れたの。お医者さんに診て貰ったら、大丈夫だけど少し記憶が混乱するかもって。まさか自分をシュンと勘違いするなんて」
え? あたし、シュンになってたの?
「あんたのゲーム好きも困ったもんね」
「ホント、大変だったんだからあ」
二人が呆れる。自分でも信じられない。
濡れた体が気持ち悪い。
「リン、シャワーを浴びてきなさい。部屋は自分で掃除するのよ!」
何時ものお母さんの小言。
「ホント、バカ!」
何時ものルンの悪口。
それが何故か快かった。
あたしはお風呂場に向かった。
その時、シュンの声が聞こえてきた。
“なんてことだ、俺がゲームのキャラだったなんて”
え? とあたしは周囲を見回した。しかし、それは頭の中からだった。
「シュン? 何で頭の中にいるの?」
“どうやら俺の意識が残ってしまったようだ。でもこれはチャンスだ! 俺の推理を現実で役立てられる!」
「ふ、ふざけないで! 出てってよ!」
“どうやって? これこそ新しいステージ! 本物の超探偵シュンが始まるんだ!”
「だあーっ!」
あたしは頭を掻きむしった。
終わり