こねこの棲家(投稿者イ氏)



私が中学二年生のある日、ふらりと兄さんが黒猫を拾って帰ってきた
雨にずぶ濡れた黒猫さん。それが浩輔の第一印象だった
黒い襟の詰まった学生服に真っ黒な艶のあるきれいな髪
ずいぶんと整った顔はつり目でやっぱり猫ぽかった
誰も人間を寄せ付けない人間嫌いの気難しいネコさんにそっくりだった


黒猫さんは兄さんにひどく懐いて毎日牛乳どころか夕飯を食べに来るようになった
私にはぜんぜん懐かない黒猫さんだと夕飯の準備をしながら兄さんに愚痴半分に言ったら笑われた
「ああそうだろう、あの猫は気難しくて全然人間慣れしないやさぐれ猫だからな」
「この家に来ていっつも兄さんの後を付いて歩いてるの。あたしになんか顔を向けて挨拶の一つもしないのにっ!
まったく誰がいつも美味しい夕食を用意してあげてると思ってるのかしら?ねぇ??」
ねぎを刻む手を止めて包丁をキランッと輝かせてみた
「ああまったくだまったくだ。何のために毎日甲斐甲斐しく夕食の準備をしてるんだかなぁ?
優子は浩輔に構ってほしくてしょうがなくって料理に力入れてるのになぁ?」
「ちが〜う!!!兄さん!誰が誰に構ってほしいって?!」
うんうんとしたり顔で頷く兄さんにびっくりして「なに言ってるの?!」とばかりに大声で怒鳴ってしまう
「ん?兄さんがいないといつも見詰め合ってるじゃないか?」
「あれは睨み合ってるの!!」
間髪いれずに訂正すると兄さんは一瞬止まって「ぷっ」と噴出した
「あはははは、かわいいかわいい!優子はかわいいなぁ」
「に〜ぃさ〜ん〜」
包丁を持ったまま口の減らない兄さんに近づこうとして玄関から「ピンポーン」とインターホンがなる音がした
「お、お。今日もお出ましのようだ」
兄さんはそそくさと包丁を持った私から慌てて逃げるように玄関へと走っていった

…奴が来た
十中八九、部活を終えてうちに来ただろう浩輔だ。私は「ふん」と鼻息荒く息巻くとまた台所に戻った
どうせ夕飯が出来るまで浩輔は兄さんの側を付いて回って歩いてるんだ


兄さんに言わせると私と浩輔はとても良く似ているんだって
一枚の鏡に映る自分と鏡の中の自分のように
私達は似ていると兄さんは言う
「お前たちはね、だから相手に自分の嫌な自分を見てしまって嫌悪してしまうんだよ」
喧嘩ばかり繰り返す私に兄さんはそう言って宥めた
「ねえ、兄さん。あんな奴、もう顔も見たくない!」
「ダメだよ、優子。そんなことを言っては。あの子の居場所をなくすようなことを言ってはだめだよ」
「兄さん」
「居場所のない辛さは分かるだろう?お前は誰よりもあの子の気持ちが理解できるはずだ
あの子を追い詰めるようなことをしてはダメだよ?あの子は優しいから本気で言ったら出て行ってしまう」
「…」
「分かるね、どういうことか分かるね?」
「うん。分かる」

だって分かる兄さんを挟んで私達はまるで鏡のよう
兄さんに縋って兄さんに振り向いて欲しくてお互い兄さんを挟んで睨み合ってる
兄さんを独占したくてたまらないって顔
兄さんが大好きなんだ


そしてその目の奥にとっても大きな空虚な自分を持ってる
悲しくて寂しくて、それを兄さんが埋めてくれる。暖かな言葉で笑顔で
兄さんが埋めてくれるって思ってる



私達の親は共働きだった。だから私の面倒は兄さんが殆ど看ていた
私が中学に入ると両親は離婚してそれぞれ再婚してしまった
二人とも新しい家族を作ってでも私と兄さんはそのどちらの家族にもならなかった
七つ離れた兄さんはもう成人した大人だからと私を引き取って面倒を見てくれている
まだ大人になったばかりで毛が生えた程度なのに「どうせ昔から俺が面倒見てただろ」って言って
未成年を二十歳そこそこの若者がと渋る両親を説き伏せてくれた。どうせ両親も新しい家族に夢中で私が肩身の狭い思いをするって
分かってたんだ。両親は私が成人するまでって言って僅かな養育費を兄さんに渡すことで納得した
私は両親の愛情を知らない
だから私は兄さんの愛情しか知らない
それでも大切に愛されてきた私は愛情をきちんと知っている
温かい家庭がなんなのかきちんと分かってる

黒猫さんのそれがここなら私は黒猫さんからそれを奪えない






「随分と楽しそうじゃん」
俺は正直やばいなと内心焦り始めていた。雨の中、数人の男達に四方を囲まれている。絶体絶命とその言葉が頭に浮かんだ
そんな時に頭上から暢気な声が聞こえてきた
俺だけじゃなくその場にいた全員がその人物を見上げた
「は〜い」
ケンさんはは高い塀の上に傘を差して膝を折り曲げた格好で
ファンに囲まれたアイドルがファンに向けて振りまくような笑顔で
俺たちに手を振っていた
「なんだテメー」
俺の後ろにいた一人が柄の悪い見てくれそのままにケンさんに噛み付いた
ケンさんはそれにも笑顔で
「ね、俺も混ぜてよ」
と何故か俺を見てそう言って微笑んできた
まるで後から来た子供が砂遊びをしていた子供達の輪に参加したくてうずうずしているそんな感じだ
そんなケンさんの表情に俺が思わず頷くとまるで「やった」とでもいう感じに笑って塀から飛び降りた
そしてケンさんは俺を取り囲んでいた男達5人をあっという間にのしてしまった

「は〜い、おしまい」
最後に倒した奴の頭を踏んで手を叩きながらほんとに暢気な間延びした口調でケンさんはなんでもないことのように言った
俺は殆ど一瞬で彼らを倒してしまった彼にあっけに取られて口を開いたままじっと固まって見守っただけだった
「こんなかわいい子猫を誘拐しようって言う悪い誘拐犯のわりには大したことなかったね」
まあ群れる奴らに大した奴なんていないけどねと言うケンさんに俺はぞっとした
「それは俺の誘拐犯じゃなくて一応ボディーガード(迎え)なんだけど」
びびってしまった自分を隠すように地面に転がった奴らを指差した俺に今度はケンさんが「えっ」と固まった
「…てっきり一人を取り囲んでもみ合ってるから誘拐かと思ったんだけどー…」
「その誘拐犯ってのはあんたじゃないの?」
疑わしいのはあんただと言う視線を送ると今度はびっくりしたように首を振った
「ちゃうちゃう、ちゃうちゃう」と訴えるように手も振ってる
真剣に焦っててその姿がなんだか可笑しい
くすりっと思わず笑って
「じゃああんた何?」そう尋ねた。こんな喧嘩に仲介してくるんだから正義感の強い「警察?」とも聞いてみる
俺の警察?と言う言葉にケンさんはどこか寂しそうに笑って首を振った
「じゃなに?」
「んー、…しいて言えば配達屋さん、かな?」
冗談を言っているとしか思えない顔で言ってきた
それがケンさんと俺の出会い
ケンさんはとっても不思議な人だった


四六時中付いて回って、ケンさんの部屋もくまなく探しても
ケンさんが何者なのかそれが分かる証拠は何一つ見つからなかった
ケンさんは何故か俺を自分の家にまで入り浸りさせてくれるけどあの時以来ケンさんの荒っぽいところも見ることはなかった
疑問は募る。しかしそれ以上に気になることがあった
それはケンさんの妹だ
俺はこれを馬鹿だと思っている
自分の兄貴のことをまったく知らないのだ。天然にも程がある
どうもケンさんに箱入りに育てられている節もあるようだけれどケンさんの仕事について聞いてみたところ
「え、パソコンの仕事でしょ?」と言いパソコンのなんだと聞くと「わかんない、パソコン詳しくないし」
とふざけた答えを返してきた。疑問はないのかこの女には…。それで納得してるのか?
ついでに言うとケンさんの部屋にはノートパソコンがあるしそれを使って何かこまごまと作業をしているのは確かだけど
とても本職のようには見えなかった

「夕食できたよー」
台所から今日も淑やかさの欠片もない大声が聞こえてきた
「ご飯できたってさ。行くぞ」
ネットゲームをしていたケンさんが画面から顔を話して俺を見て言った
俺は漁っていた本棚に本をしまう。今日も収穫はなし、か。まったく全然尻尾を見せない
「なあ、ケンさん。何であんたいつも俺を突き放さないんだ?」
前から聞きたかったことを聞く。正直理解できなかった
「うざくないのか?」
あんたの正体を暴きに毎日毎日家に押しかけてくる見ず知らずの俺が…
あんたには俺が誰なのかいってない。まああんたならもう調べが付いてるのかもしれないけど
俺は何も言ってない。そんな俺を何故追い払わない
「正直、お前はかわいいよ。うちの子猫に似てて」
「は?」
またこの人お得意の理解不能言語が…
「お前はさ自分が思う以上にこの家に馴染んでるんだよ。俺は嬉しいよ浩輔が家に来てくれると」
「な、何言ってるんだよ。理解できない、やっぱあんたは理解不能人間だ」
慌てる俺の頭をケンさんがわしわしと無遠慮に撫でてくる
大きな手だ。優男じみた見かけと反してそう言うところは荒っぽい
でもやっぱり見かけどおり穏やかで優しくて、何故か側にいるとあったかい人だ

「浩輔が来たい時に何時でもおいで、お前が来るとこの家が賑やかになる
俺も優子もお前が来ると元気になる。家族が増えたみたいだ
俺は弟も欲しかったからお前が弟になってくれたらと思うよ
嫌じゃないから気兼ねせずに理由がなくてもおいで、待ってるから」


この家は温かい。優しくて笑いに満ちていていつも誰かが喋っている
こんな家の住人である優子を知らず羨んで嫉妬していたのかもしれない
おれはこの家に、この家のようなこの人に初めから憧れていたのかもしれない