異世界の夢(投稿者ニ氏)



 ここは異世界ランメル。本来世界に名前なんてないと思うのだが、あるというのだから仕方がない。だが、周りの景色はどう見たって現実世界。異世界に飛んだ覚えもない。飛ぶはずもない。でも、俺の部屋に押しかけてきたこいつは突然そんなことを言い出したのだ。
「ともかく、異世界ランメルには妖精がいまして。魔法やら何やらが毎日飛び交っているのです。というわけで、あなたを我が国が保護することになりました」
「日本が俺を? というか、お前誰だよ」
 第一印象電波少女は、さも「その気持ちわかります」とでも言うかのように頷いてみせた。
「我が国というのはランメリーザ王国のことです。そして私は王女フローリア・エンリ・ランメリーザ。突然異世界に来てしまったのだから驚くのは当然ですよ。ご安心ください」
 と、黒髪黒眼のどう見たって日本人の少女がそんなことを言う。ショートカットの髪に染められた形跡はない。色白の肌だが、それだけで異世界人だという証拠にはならない。よく見るとちょっと可愛いが、電波属性は不所持だ。
「ともかく、汝、リディクー・バルアットは我が国が保護しますので、ついて来てください」
 誰だよそれ。だが、あいにくとこんな電波少女に名乗る名前は持っていない。だからとりあえず俺の名前はそれにするとしてだ、問題はどうやってこいつを追い出すかだ。
「よろしいですね、リディくんバー」
「変な呼びかたするなよ」
「暫定的に決めた名前でしたが、ご不満でしたら本名を教えてください。それからはその名前でお呼びしますから」
 自称王女が機械的に答える。というか、暫定的と言い張りやがったぞ? まあいい、電波にちょっとくらい付き合ってやるか。追い出すまでの辛抱だ。
「俺は山上誠一だ」
「覚えるのが面倒そうな名前ですね。メモしとかないと」
 まる聞こえだが、まあ、今は我慢だ。電波はメモを取り終わると、気を取り直して話を戻す。
「では山上様、こちらに来てください。他の世界から来た人は歓迎していますので」
「なあ、その話し方やめてくれないか? 正直うるさい」
 俺はそこそこ実戦は得意だ。この前だって、路地裏で少女を襲おうとしていたチンピラ二人を倒したことがある。そして、俺はそんなに我慢強くはない。だからこぶしを振り上げるのも当然の行為だ。
「暴力はいけません。ですが、この話し方がいやならもっと砕けた話し方になりますが、よろしいですね」
「ああ、今よりはましだろう」
「じゃあ、誠一くん! ちょっと私と一緒に来てくれない?」
 電波少女が快活少女になった。意外と笑う姿は可愛い……いやいや、可愛ければ何でも許されるって訳じゃない。
「それじゃあ、次はお前の番だ。本名教えてくれよ」
「だーかーら、私は異世界ランメルのランメリーザ王国王女フローリア・エンリ・ランメリーザ! もう、誠一くんったらちゃんと覚えてよね!」
 それでも貫くこいつはすごいと思うよ。だが、俺にも反論する権利はある。
「そうか。仮にここが異世界ランメルだとしよう。なら、何で言葉が通じるんだ?」
「翻訳魔法」
 定番の答えで即答。さては、練習してきやがったな。
「じゃあ、俺はいつここへ来たんだ?」
「記憶を失ってるんだね、可哀想……でも、大丈夫だよ」
「あー、仮にそうだとしてだ。何で大丈夫なんだ?」
「私があなたを婿として迎えます。高校三年生で歳は十八。私は二年生で十七。問題はないでしょ?」
 まあ、それには問題ないだろうさ。だが、明らかにおかしな点があるぞ電波。
「で、何で俺が高校生だって知ってるんだ? それに、お前は王女じゃなかったのか? 高校二年生ってどういうことだ? それに、最初は保護するって言ってなかったか?」
 矢継ぎ早に放たれる俺の指摘に、どう考えても日本在住の少女は即答する。
「あれ? 翻訳魔法に失敗したかな?」
 そうきたか。だが、魔法という言葉を使えばどうとでもなると思ったら大間違いだ。
「ところで、魔法ってなんなんだ?」
「機密事項だから答えられないの。ごめんね、誠一くん」
 一発殴ってやりたいのですがいけませんかそうですか。ならば、二発殴るまでだ。俺はこぶしに力を込めて、目の前の少女に殴りかかろうと――
「きゃあ、だめです誠一くん! 暴力で動けなくして犯そうだなんて! 警察呼びますよ!」
 したがやめた。こいつの失言を咎めたほうが早そうだ。
「今の反応は予想済みだったんだな?」
「そ、そうですよ。誠一くんはチンピラ二人を倒すほど強いんですからね! きっと怒るとそれを武器にするだろうから……」
「で、警察か?」
「う、うん」
 認めた。ついに認めたぞ。勝訴だ。陪審員は俺に味方した。これですぐにでも追い出せる。
「そうか、ありがとう。じゃあ、本名を教えてくれるな? もう認めたんだし」
「フローリア・エンリ・ランメリーザ。翻訳魔法は苦手なんだよねー」
「冗談抜きでやってやろうか? さっきお前が言っていたこと」
 振りかぶるまでもない。鋭い視線と声のみで真剣さを伝えることは充分に可能だ。
「……えーと、中村美里です」
「よろしい。証人は証言を続けるように」
 俺は悦に浸りながらそう促した。勝利の喜びからくる昂揚感には人をおかしくする作用があるようだ。
「はい? 証人ってなんですか? 誠一くん、豆腐の角に頭でもぶつけました?」
 そして今までの自分の行動を忘れたかのようなこいつの反応。
「お前の行動はどうなんだよ、電波」
「翻訳魔法が……」
「もうそれは通じないぞ、美里」
 突然彼女の頬が朱に染まった。どういうことだろうか。
「名前で呼んでくれた」
 ものすごく嬉しそうなのですが。記憶をたどる。彼女の発言に何かヒントがあるはずだ。異世界ランメル? いや、違うな。そうだ、二人のチンピラ。そして、助けた少女。案外答えは簡単に見つかった。
「あのとき助けたのって、お前だったのか」
「誠一くん、覚えててくれたの?」
「いや、何となくだけどな。でも、だからってどうしてこんな方法で?」
 どうしてこんなに回りくどい方法を? 異世界だとか翻訳魔法だとかは不必要だろう。それなのに、なぜ? 俺は思いつく限りの疑問を彼女にぶつけた。
「翻訳魔法は嘘で、ランメリーザ王国の王女だっていうのももちろん嘘だけど。でもね、真実は嘘の中に含まれているものだと思うな。誠一くん」
「よくわからんが、用件は? 突然俺の部屋に押しかけてきたってことは、何か話したいことがあったんだろ?」
 おかしな行動をしてまでここへ押しかけてきた彼女。何か目的があるはずだ。そして、彼女の意味深な言葉。嘘の中の真実。聞かないほうが幸せかも知れない、聞いたらどうなるのかわからない。けれど、聞きたいと思った。
「一つは、私の誠一くんへの気持ちを伝えるため。好き――愛してます、誠一くん。助けてくれたときの誠一くん、格好良かった。それに……や、これは秘密」
「で、そんな軽い理由でいいのか?」
「恋する理由って必要?」
「質問を質問で返すなよ。……ま、それでもいいと思うけどな?」
「ありがとう。よかった、最後に伝えられて」
 彼女はか細い声で呟いた。さっきまでの明るさはいつの間にかへ消えていた。
「最後?」
 言葉の意味がよくわからない。なぜ最後なんだ? 告白したからこれからが始まりではないのか? 俺はまだ返事をしていない。返事をもらえるまで待っていてくれたりはしないのだろうか。恋なんて、そんなものなのだろうか。
「ここへ来た二つ目の目的。教えてあげる」
 楽しそうに笑う美里。だけど、その顔にはどこか憂いがあって。聞かなければよかったのかもしれない。このまま、ここを現実世界だと思って生きていければそれでいいんだから。ここは現実世界。現実世界なんだから。……現実世界? 現実とはなんだ? ここは、現実なのか? 違う。現実じゃない。ここは――。
「せ、誠一くん! ど、どうしたの? 熱? ここは現実世界だよ?」
 唐突に、頭の中が空白になった。何も見えない。ただ少女の声が聞こえるだけ。聞こえるのは、どこか違和感のある言葉。視界が開けた。目の前には、ただ泣き崩れるだけの少女の姿。それなのに、少女は遠かった。声をかけることさえもできないくらいに。
「……ごめん、なさい。私、どうしても会いたくて。やだな、こんなことしなかったら、誠一くんはずっと生きられたのに」
 声をかけることはできない。見ることはできても、身体が動かない。記憶が鮮明になる。俺が助けたのは美里。俺を助けたのも美里。そして、俺の身体が動かなくなったのは……。
「真実は嘘の中に含まれている、か」
 俺の声は誰にも聞こえない、心の声。嘘の中の真実。異世界ランメル。魔法の存在する国。いや、世界に名前があるはずはない。ランメルはきっと、王国や王女の名前から美里が考えた名前だろう。リディクーとバルアットは、ランメリーザの醸造ワインだ。
 やっと、思い出した。俺の身体を動かなくしたのは、俺だ。現実世界に戻りたくて、王女にしつこく聞いて使い方を学んだ魔法。夢の中に逃避する魔法。夢の中では現実世界で生きていられるから。
「ごめん、ごめんね。私……」
 そして、その魔法に干渉することはできない。なんとも身勝手な魔法だ。それでも誰かが無理やり干渉すると、夢を見ているものの記憶から干渉者の記憶が消える。たとえそれが、愛していたものだとしても。
「私は、覚えてるから。ずっと、ずっと――」
 そうして、俺の意識は闇に溶けていった。
 朝の陽射しが俺を照らしている。朝だ。夢を見ていた気がするが、内容は覚えていない。そして、俺を起こしてくれる声が。
「誠一くん、早く起きて! 王女様に報告しないと!」
 俺が信じて止まない力がある。それは何か。答えは簡単だ。
「ああ、いま行くよ。美里!」
 もちろん、愛の力ってやつだ。……ちょっと恥ずかしいけどな。