雪国で一番アイスが売れるのは、実は冬(投稿者K氏)



 戦え。
 そして、克服せよ。

 人は、常になにかと戦い続けねばならない。
 それは、月々減っていく貯金残高であったり、朝目覚めるときの、あと五分、という誘惑だったりする。自らの意志が折れそうになっても、そこで踏みとどまれるか。それが人間の価値を決める。
 現実を目の前にして、いたずらにその壁の厚さを嘆いたところで、事態は好転したりしない。マラソンだって、苦しんで走るよりも楽しんで走るほうが、タイムもグッと縮まるはずだ。
 
「りくちゃん。やっぱりやるのね?」
「ああ」
人は闘わねばならない。
 武士は刀を持ち、
 農民は鍬を掲げ、
 軍人は銃を捧げ、
 俺は地面、屋根の下にスコップを突き立てる。
 板を貫く錐のように、一点を揉み穿つように。
「むぐわー」
 結果。
 雪崩発生。
 そして当然のように、倒壊した雪の固まりに押しつぶされた。




 ──五日前。
 アパートに備え付けの郵便受けの底の底。ピザ屋のチラシやアパートのカタログにまぎれて、一枚のハガキを見つけたのは、年の暮れのことだった。
 雪の写真が印刷された絵はがきには簡潔に、祖母の三回忌をするということが書かれていた。
 血を分けたとはいっても、十年以上昔、小さな学生だったころに一度顔を合わせただけだ。いまさら、感慨など沸くはずもない。
たしか、自分と二つほど年の離れた女の子がいたはずだと。
 そんなことを思いながら、訪れたかつての故郷。
 ニュースでは今年一番の寒波と伝えられ、車のフロントガラスはたちまちに白く曇ってしまった。滅多に使うことのない暖房機能を全開にして、雪の舞う小道をゆく。車の外に見える人々は、手袋やらマフラーやらコートやらで完全に装備を固めている。
 そこは十年前と変わらず、童話の中から抜け出してきたような、冷たい銀世界のなか──
 息が見えるカタチとなって、白く立ち上っていく。
 トンネルなど潜るまでもなく一目瞭然に、そこは雪国だった。
「りくちゃーん」
 零度を下回る空気の下、静けさを剣の一撃のように斬り裂いて。
 俺はひとりの少女と再会した。

 とても寒い冬の、とある日のことだった。



 一日目、
 雪道を、滑ってまっすぐにすら歩けないことに絶望する。

 くぅのコメント。
 もうすこがんばろうね。
 足下をよく見て、踏ん張って内股で歩くといいよ。
 あと、ダウンジャケット着てると転んでも痛くないから便利。

 二日目、
 排水溝に気づかず、片足を股のあたりまで雪に喰われる。

 くぅのコメント。
 地元じゃない人が、たまにはまっちゃうんだよね。
 目をこらせば境目はわかるんだけど。
 でも落とし穴みたいなものだから。

 三日目、
 雪かきで腰を痛める。

 くぅのコメント。
 りくちゃん、運動不足すぎ。

 四日目、
 坂道から猛スピードで滑ってきた、小学生の乗ってるソリに轢かれる。
 そろそろ、言ってて悲しくなってきた。

 くぅのコメント。
 悪ガキどもが坂の上から下ってくるんだよね。
 なにげに危ないよ。瞬間的にだけど、多分50キロ以上は出てるから。
 でもあれ、すごく楽しいの。私も昔やったけど。危うく横から出てきた車に轢かれかけたからよく覚えてるんだけど。

 
 五日目。

 冒頭に戻り、雪かきしている最中に、屋根の雪の固まりに押しつぶされる。

「また、今日も、こんな──」
 雪に埋もれてふらふらになりながら、俺は立ち上がった。
「ドンマイ、りくちゃん」
「屋根の雪って、やっぱりそのままにしておくと、家が潰れたりするのか?」
「あはは、さすがにそんなのは嘘だよ。雪国の勝手なイメージ」
「だよな」
「んーと、ただね。三日ぐらいほおっておくと、扉のたてつけが悪くなったり、トイレのドアが開かなくなったりするけど」
「いや、それ歪んでる。家歪んでるからっ!」
 やはりここは異界だった。
 今日も寒い。手袋をしていても、指がかじかんで皮膚が赤くなってしまっている。
 吐いた息も、視認できるような寒空の下。
 雪は、同じ量の砂とほぼ同じだけの重さといえば、この作業の救いようの無さが想像していただけるかと思う。
 しかも、これを毎日続けなければならない。
 このような、朝六時とか、昼とか二、三回に分けて。
「それに三日ぐらい雪下ろしやらなくていいか、と思ってると、突然、ミシッって音がしたり、スリル満点」
「いや、それ笑って話すようなことか?」
「──だって、私もうすぐ家を出るもの。誰も住まなくなったら、きっと荒れ果てるでしょ、こんな家」
 ひとりだと、こんな家でも広すぎるから。
 そう、彼女は付け足した。
 今年、高校を卒業するらしい、就職率も半分を割るような土地では、懸命になってこんなところにしがみついている理由もない。
 もっと、広い世界へ。
 駅前通りも、ほとんどがシャッターを下ろしていた。
 いつか、彼女の中でも、ここは白い思い出の中に沈んでいくのだろう。
「全部かき氷にして食べちゃうのは? 俺は御免だけど」
「うみ姉によると、死ねっ。そんなことを言う奴は死ねっ。だったら沖縄の人は喉が渇いたから雨を飲むんかっ! 実際てめえが食ってみやがれ、って言ってた。私も同意見だけどね」
 目が笑っていない。
 どうやら、触れてはいけない領域に触れてしまったらしい。
「ゴメンナサイ」
 今、話に出てきたうみ姉というのは、隣に住んでた、俺よりひとつ下のガキ大将である。女だてらに、すごく恐かった。
 それでこの三人で揃えて陸、海、空、と、安易なんだか壮大なんだかよくわからん名前をつけられた「りく」「かい」はともかく、空の名前が「そら」、ではなく「くう」なのは、そういった理由ということらしい。これを聞かされた時には、、親への敵意を旗頭に、三人で一致団結したこと覚えていた。
 つーわけで。
 どうやらもうひとりは到着が遅れているようですが、到着次第、皆様にお知らせいたします。
「雪かきって不毛なんだよな。毎日なんてやらんでも」
「うーん。どっちかというとね」
 そらは、前置きして続ける。
「ご近所づきあいの一環かな。雪かき毎日やらないと、あそこは雪かきしてないとか、ご近所でイメージが悪くなるの」
「せちがらい話だな。もうお湯で全部溶かしちゃったらどうだ? 風呂の残り湯とかで」
「寒くない日ならそれでいいけど。寒い日だと流れる前にお湯が凍って、前よりもひどくなるよ。地面が全部、アイスバーンになって、歩くこともできなくなるもの。冗談抜きでそこいらのおじいちゃんおばあちゃんが滑って転んで死んじゃうよ。
 それに、残り湯なんてどうやって運ぶのよ。雪かきより労力を使うじゃない」
「じゃあ、除雪車はっ!」
「そんな、町に三台しかないもの、こんな小道まできてくれるわけないじゃない」
「夢も希望もないな」
「現実ですからー」
 スコップでも掘ることのできない、アイスバーンのようになった地面の上で器用にくるくると廻りながら、空は答えた。
 きゃう、と短く悲鳴を上げて、案の定転んでしまう。
「おしりが、びちょびちょになっちゃった。雪かき早く終わらせて、石油ストーブ焚いた部屋でカップアイス食べよ」
「アイスって、冬に?」
「おいしいよ。マイナス五度の外界からひきこもって、石油ストーブがんがんに焚いた居間で、冷蔵庫で冷やしたアイス食べるの。──ね?」
 言われたとおり、想像してみた。
 うわっ。
「無駄の極みだな」
「でも、魅力的でしょ」
「それは否定できない」
 冬にアイス。
 最初は、奇抜だと思われるかもしれないが、雪国ならどこの家庭でもある、平凡な情景のひとつなのだそうだ。
 雪国の夏の暑さは、それほど理不尽ではない。だから、身体を冷やすという意味でのアイスの消費は、あまり伸びないのだとも。
 相対的に、こういった需要が生まれるのだという。
 雪見だいふくなんかがその筆頭だろう。
 フルーツ系じゃなくて、バニラとかヨーグルトやらが人気だとか。
「うん、集めた雪は全部そこの家に寄せちゃっていいから」
「いいのか? 玄関埋まって出てこれなくなってるけど」
「そこ今、誰も住んでないし」
 さくさくと刻んだ足跡は、ゆるやかに降る雪にかき消されかけている。
 U字の雪を押し出す形のシャベルを手にして、
 俺はいつか足跡など見ていなかった。
 寒ささえ感じず、白い世界を見つめていた。
「あ、灯油なくなりそう。ドラム缶ひとつ分あれば一冬ぐらい越せるのよね」
「一般家庭に、ドラム缶がある必然性がわからなかったんだけど、あれはそうやって使うのか」
 雪かき道具を片付けて、玄関で、そんな会話を交わす。

 石油ストーブの前で、かじかんだ手を温める。
 外を見ると、代わり映えのしない白が、褪せたままで時代に取り残されていく光景を想起させた。そこに、生物の気配はない。

 ただし──春は来る。
 春風と共に、黄色の菜の花が、一面に咲き乱れる姿を見られるだろう。

 そのあとで食べたアイスクリームは──、甘い、勝利の味がした。