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殺戮マニュアル

 少女はぼんやりと、天井を眺めていた。白い顔には、これといって表情のようなものは浮かんでいない。
『ある所におばあさんが居ました。おばあさんが川で洗濯をしていると、上流から大きな箱と小さな箱と中くらいの箱が並んで流れてきます。リルタ、あなたがおばあさんだとして、どれか一つしか取れないとすると、どの箱を取りますか? そして、それはなぜですか?』
 調度品も何も無い部屋に、抑揚の無い声が響く。
 部屋のど真ん中に立ち、リルタと呼ばれた少女は質問に即答した。
「小さい箱。並んで流れてくるなら一番中身が詰まってそうなのはそれだろう。おばあさんが簡単にすくい上げられるのもそれだ」
『次の質問です。凶悪なヴァンパイアに呪いをかけられ、おいしいと言われるものを食べずにいられなくなった男がいました。その男は村の人間を残らず食い尽くそうとします。それを止めるには、どうすればいいでしょうか?』
「お前の舌が一番美味いと言えばいい。別に舌でなくてもいいけどね」
 姿無き声は、答を聞くとすぐ、次の質問に移る。リルタもまた、相手の正体などには頓着せず、それが当然であるかのように、ただ事務的に回答していく。
『では、最後の質問です。リルタ、あなたにはどうしても守らなければいけない人がいます。しかし、敵に追いつめられ、絶体絶命になってしまいました。ただ、自分一人だけなら助かるかもしれません。あなたは守るべき人を見捨てますか?』
 リルタは今までと違い、ほんの少しだけ考え込んだ。一瞬のことだが。
「守るべき人の価値による。その人が仕事でガードを頼んだ相手とかなら見捨てるだろう。でも、自分にとって守る価値があると思えば話は別」
『身勝手な意見ですね。エゴだとは思いませんか?』
 淡々とした声。
「思うよ。でも、自分の行動を自分以外の誰の視点で選べと言うんだい? 自分の命を……」
 挑戦的に天井をにらむ少女のことばが終わらないうちに、何も無いはずの四方の壁にくぼみができ、長方形の出入り口ができた。その向こうから、黒ずくめの服装にサングラスをかけ、ライフルを抱えた男たちがなだれ込んでくる。
 リルタは、ジャケットの内ポケットにホルスターごと入ったリヴォルバーを抜いた。
 彼女が狙うのは、上。
 パパン!
 2つの銃弾が天井を撃ち抜き、何かをかすめる。
『あなたは危険すぎる』
 合成音声は淡々と言った。しかし、リルタがわざと狙いを外したことを見抜けないほど鈍くはなかったらしい。
『しかし、合格です。これよりあなたに暗殺訓練を受けてもらいます』

 訓練は昼夜を問わず行われた。日常のすべてが、訓練にすり替わっていた。
 訓練が行われているのは、ある危険な島だ。そこに50人ほどの生徒と謎めいた教官たちが寝泊りし、当然野宿、自給自足で何とか生き延びている。
「フェイル、何かわかったかい?」
 先程捕まえた怪鳥の肉をくんせいにしながら、リルタは身につけて離さない、彼女には大き過ぎるヘッドホンに話し掛けた。周囲には教官がいるが、彼らは訓練に関わらないことには関心を示さない。
『ああ。なかなかエキサイティングな夢の持ち主だね』
 人とは違った響きのある声が応答した。聞き慣れた、惑星管理システムFALの声。
「こういう夢を見ているってことは、相手は暗殺者か、それに憧れている人か、その関係者か……」
『どうにしろ、関わり合いにはなりたくなかったね』
「まったくだ」
 焚き火の火加減を見ながら、リルタは溜め息まじりに相づちをうつ。
 その時、ふと、彼女は立ち上がった。
 銃弾が彼女の頬をかすめ、火のなかに落ちる。
「よくかわしたな」
 彼女は振り向いた。低い声の主は、やはり、今まで一度も口を開いたことのなかった教官だ。その手に握られたピストルの銃口から、細く灰色の煙が立ち昇っている。
 リルタは驚く間もなく、内ポケットから銃を取り出した。現われたのはリヴォルバーではなく、小型のスタナー(麻痺銃)だ。
 横に跳びながら、迷わずトリガーを引く。
「すばらしい。一瞬の判断もマニュアル通りだ」
 教官は近くの岩の上に飛び移っていた。銃弾がかすめたような様子もない。
 リルタは正確に眉間にポイントする銃口から逃れようと、スタナーで牽制しながら林へと走った。教官も銃弾をかわしつつ、発砲。
 一瞬引っ張られるような衝撃に転びそうになりながら、彼女は何とか太い幹を背にする。
『リルタ! リルタ、大丈夫!?』
 少々うるさいくらいに動揺した声に、少女は苦笑した。そして、左肩を押さえていた右手のひらの血を見下ろし、顔をしかめる。
「夢なのに……痛い」
『ああ、そりゃそうだよ。そんな感覚を作り出すのもたやすい。あまり行き過ぎると自分で死を納得して精神的に死んでしまうよ』
 今リルタが体験しているのは、夢なのだ。狂った仮想現実という夢。しかも、夢の中の夢であり、そして、それはリルタのものではない。
「この夢の主は……、あの教官なんだろうか」
 銃声は続いている。リルタの右手のスタナーが形を変え、別のものになっていた。その銃は、一種の、彼女が持ち込んだ彼女の夢だ。
「逃げる気はないようだな。覚悟したか?」
 足音が近づいて来る。靴音を響かせているのは、威圧感をかけるため、わざとだろう。
 コツコツ。
 足音は、すぐそばまでやってくる。
『リルタ……』
 フェイルが不安げにつぶやく。
 リルタは、タイミングを計り――
「今!」
 木の陰から飛び出すと、力いっぱいトリガーを引いた。
 しかし、そこに相手はいない。教官は、少し離れた岩の上にいた。銃弾が彼を捉えることなどなく、彼は勝利の笑みを浮かべる。
 しかし、やがて彼は気づいた。
 リルタが、目を閉じていることに。

『リルタ……? どうなったんだい。夢の主は?』
 照明弾により少しの間視界を奪われていたフェイルは、不安げにきいた。辺りは、荒れ果てた、仮想現実のガレキの世界。『夢の中の夢』を抜け、『夢』に戻って来たのだ。
「夢の主?」
 リルタは笑った。フェイルにもわかるよう、P-ポッドをのぞきこむ。そこには、誰も横たわっていない。
『またアーカイヴの記憶が……』
「つまり、わたしはきみの憂さ晴らしに付き合わされたわけだ」
『それを言うなら、ウイルスの憂さ晴らし! わたしはもう、データも制御でてきないんだよ』
 もちろん、リルタも承知している。P-ポッドの制御権をフェイルに戻す作業を終えると、彼女は道具をバックパックに戻し、それを背負って立ち上がる。
「じゃ、行くか。本当に夢の中の夢に捕らわれている人たちを助けないとねえ」
『……』
 惑星管理システムの溜め息を聞きながら、、リルタはガレキの山を乗り越え始めた。
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