FILE 02 青い大地の道化師たち(中)


 キサキはエアカーから、アーケードの天井に穴が空いてないのを確認した。次に、シレールが計算して割り出した、ライフルで狙えそうな場所を見て回る。しかしどこにもそれらしき証拠はなく、目撃者もいなかった。
 だが、キサキはあきらめることなく、続いて被害者についての調査を開始する。被害者の女性は地元のOLで、名を神崎裕美といった。北区にあるという実家には行かず、被害者が勤めていたという会社の友人に話を聞く。キサキだけでは相手にされない可能性があったが、シレールが受付に話を聞きたいと言うと、会社帰りに質問に答えることを承諾してくれた。
「なんか、腹が立つなあ……」
 会社のロビーで待ちながら、キサキはぼやいた。ガラス張りの壁の一面から見える街並みは、すでにオレンジ色に染まり始めている。そろそろ、このコンピュータソフト会社も泊まり込みや残業の者以外は帰り支度を始めているだろう。
『まあ、普通一般人が尋問なんてさせてもらえないし、仕方ないじゃない。わたしの名前を出すことで会えるんだから、これも人徳だね、人徳』
「シレールは有名なだけじゃないか」
『失礼な』
 シレールとことばを交わしながら、キサキはロビー内の自動販売機で買った紙コップ入りのコーヒーをすする。周囲には、他人の姿はない。受付の計らいでここで待ち合わせということになったのだが、自分とは無関係な会社のロビーにいること、そして時々近くを通り過ぎていく社員の奇異の目に晒されて、どことなく居心地が悪かった。
 玄関に向かう白いコート姿の女性が不思議そうに振り返る姿から視線を外し、紙コップの中に目を落とす。何が起こっているのか見えないので、シレールは相手が黙っている時は話すべきではないと判断しているようだ。キサキの家に向けて超小型カメラを手配した、と言っていたので、数日後にはもっとうるさくなるだろうか、と彼女は思った。
「きみが、キサキさんかい?」
 声をかけられ、キサキは顔を上げた。スーツの上にコートを羽織った、人の好さそうな青年が鞄を抱えて立っていた。
「あ、はい。宮田隼人さんですね? 二、三お訊きしたいことがありまして」
『あなたは、神崎裕美さんのご友人ですね』
 突然の別の声に一瞬驚いたが、シレールのことは話がいっているのだろう、宮田は向かいの椅子に腰を下ろしながらうなずいた。
「ええ、裕美は大学時代からの友人でした。彼女がなんとかって宗教に凝り始めてからは、あまり顔を合わせることもなくなりましたけどね」
「浄化教については、何かご存知で?」
「マスコミの報道にある程度は。何とかっていう外国の予言者が教主で、あと少しで地球が滅びる、とかいうアレでしょう」
「他に、浄化教関係の人を見かけたことはありますか?」
 相手が一度目をそらしたのを、キサキは見逃さなかった。
 だが、相手側もそれを自覚したらしい。彼は観念したのか、溜め息混じりに応じた。
「実は、もう一人大学時代の友人がいるんです。彼女は裕美とは親友でした」
 その女性の名は、湯月藍。彼女は先ほど、この会社から出て行ったという。
 キサキは、あの女性が彼女だったか、と気づく。
『キサキ、追いかけよう。今なら間に合うかもしれない』
 体よく追い払われた気もするが、キサキは宮田に頭を下げ、「では、また」と言い残して席を立った。紙コップを屑カゴに投げ、受付の前を駆け抜け、帰宅する社員数名に紛れて外に出る。余り人通りのない小路のアスファルトが紅に染まっていた。
 辺りを見回すが、目的の姿はない。小路の一方はすぐに行き止まりで、キサキは奥の見えない右手に向かって駆けた。湯月がエアカーを持っていないことを祈りながら。
 その祈りが届いたのか。最初に見えてきた背中が、白いコートの見覚えのあるものだった。
 その姿に追いすがって、声をかける。
「湯月藍さんですね?」
 女性は足を止め、驚きの表情で振り返った。
「はい、湯月はわたしです。何か御用でしょうか?」
 彼女の対応は、至って普通だった。別段浄化教に先入観はないが、キサキは内心意外に思う。
「いくつか、お尋ねしたいことがあるんですが。神崎裕美さんをご存知ですか?」
「ええ。彼女は最近会社を休みがちですが」
 身体ごと振り返って、湯月はうなずいた。彼女は、神崎が亡くなったことを知らないらしい。
 キサキは、少しためらってから言った。
「神崎さんが亡くなられたことはご存知ですか?」
 彼女が訊くと予想通り、相手は、信じられない、といった風な顔をする。
「それは、本当なんですか……? あのう、詳しいことを教えて欲しいんですが、ここではなんですし、近くのカフェに行きましょう。そろそろ暗くなってきましたし」
 建物に日光を遮られて、辺りは一段と暗かった。そうでなくとも、すでに太陽は姿を隠している。空からも街並みからも急速にオレンジ色が後退していき、変わって、夜を構成する色のいくつかが濃くなってきていた。
 小路を抜けて少し大きな通りに出ると、飲食店が並んでいた。そのなかの一軒の前で足を止め、湯月は店内に入った。<カフェ・ブルースター>と看板のかかった、クールな雰囲気の店だ。
 テーブルが十近くあり、そのうちの四つが埋まっていた。湯月は、辺りに人のいない、窓の近くの隅の席に座った。奥には四人用のテーブルもあるが、窓際にあるテーブルはどれも二人用の小さなものだ。
「好きなものを頼んでいいですよ。奢りますから」
「いいえ、そんな……」
 遠慮がちに言いながら、キサキは少しほっとする。彼女は財布をエアカーに忘れ、わずかな小銭しか持ち合わせていなかった。
 それを知ってか知らずか、湯月はどこか疲れたように笑う。
「その代わり、さっきの話を詳しく教えてください。奢るのは、そのための報酬です」
「……では、遠慮なく」
 メニューを眺め、キサキはミントティーとチーズケーキを頼んだ。湯月はウェイトレスにミルクティーとアップルパイを注文する。
 注文を終えると、彼女は鞄を膝の上に抱えてキサキに向き直る。
「それで、さっきの話ですが……本当なんですか? 信じられない。一週間前はあんなに元気だったのに。でも、どうして?」
「ニュースはご覧になっていないようですね……。実は、神崎裕美さんは殺害されたんです」
「殺害?」
 湯月は愕然として身を乗り出し、水の入ったコップを危うく袖でひっくり返しかけた。丁度店に入ってきた男女が驚いたように視線を向ける。湯月は一瞬恥かしそうに頬を染めて身を引いた。
 その様子をじっと見守っていたキサキは、静かな声で説明する。自分が目撃したことそのままを。
「あなたも、浄化教の信者だと聞きました。何か心当たりはありませんか?」
 しばらく相手のショックが和らぐのを待ってから、単刀直入に問う。
 注文したメニューが運ばれて来て、湯月は自分を落ち着けるように、ミルクティーを一口すすった。
「……浄化教、の一般的なイメージはご存知ですよね。実は、浄化教のなかでも、いくつか派閥があるんです」
 マスメディアの報道などで広がっている浄化教のイメージは、よいとは言えない。間もなく世界は滅びるという予言を信じ、自暴自棄になったように犯罪に手を染め、集団自殺や怪しげな儀式を行い、あるいは快楽を求める姿ばかりが人々の記憶に焼きついている。
 しかし、本来の浄化教はまったく別の教義を持っていたという。
「もともとの浄化教……オリジナルは、科学者が教祖でした。教祖、と申しましたが、宗教という形とは違ったものでしたね」
「では、科学的に、地球が滅びるという結論に達したと……?」
「ええ。難しいことは知りませんが、今までのすべての気候・天体観測データを総合した結果、近い将来地球は大変動を迎えるだろう、と。それを防ぎ、あるいは、防ぐことができなかったとしても宇宙に誇れる民族として消えていけるよう、誇り高く生きよう……という一種のサークルが、今の浄化教の元になったものなんです」
 ニュースなどに登場する宗教は、その発生まで解説されることはまれである。初めて聞いた浄化教の根本の話に興味を引かれ、キサキは後でいくつか調べてみよう、という項目を心の中でメモする。
「わたしは、オリジナルの信者でした。裕美もそうです。わたしは彼女に誘われて入りましたから……。積極的な彼女は過激派の人にとって目障りだったのかもしれません」
「過激派の信者を知りませんか?」
「いいえ……場合によっては暗殺者を雇うような危険な人たちらしいですし、関わりたくありません。わたしも狙われるかもしれませんし……だから正直、最近は裕美と距離をとっていたんです。でも、こんなことになるなら、あんまり積極的に動くと危ないよって言ってあげればよかった」
 目を伏せて、彼女は再びミルクティーをすする。
 視線をそらす直前の彼女の瞳に浮かんだ悲しみの淡い光は、決して偽りではない――と、キサキは確信した。

 <カフェ・ブルースター>を出て湯月と別れたキサキは、すかっり夜闇が広がった空に色とりどりの明かりを投げかけている街並みを離れ、エアカーを停めたデパートの駐車場に向かって歩いていた。湯月と出会った小路を引き返すことになる。電飾の鮮やかな通りから静かな小路に出ると、いっそう寂しい雰囲気が際立つ。
 いくつか窓から光が洩れている三階建ての会社のビルの前を通り過ぎ、しばらくは住宅地が続く。辺りに、他の通行人の姿は無かった。
 小さな公園まで来たとき、ようやくシレールが声をかけた。
『浄化教の元になった科学観測データともとの教祖になった学者を検索したのだけど、該当しそうな人物が八名いる。その内二名は数年前に亡くなっているね。あと、行方不明が一名。残りの五名に連絡をつけてみよう』
「信憑性はあると思う? 世界が滅びるって話」
 歩みを止めないまま、疑い深げに尋ねる。
 シレールは、一呼吸の間を置いて答えた。
『……正直、数十年前からの異常気象の増加は何か大きな異変の前兆を感じさせる。ただ、わたしたちゴートの者は、過去のことについては残されたデータを分析することしかできないからね。データの欠損部分もある。まあ、一夜にして大陸が沈むとかじゃない限り、全員を避難させたりすることはできるだろう』
「それはわかっているんだけどね。科学者の教主は何か決定的なことを発見したのかな」
『連絡が取れたら、是非、学説を聞きたいね』
 静かな小路を抜け、キサキは大通りに出た。人と車が行き来する、賑やかな光景が広がる。
『キサキ……。きみの後にあの店に入ってきた男女、警官だね』
 デパートのとなりの建物にあるエレベータに歩み寄る彼女に、シレールがボソリと言う。
「わかってるよ……」
 最上階である四階で降りて、愛車に向かう。エアカーは最上階と決まっている。周囲にもいくつかエアカーがあるが、数は十数台といったところで、がらんとしていた。
 IDカードをかざすと、自動的にドアのロックが外れる。運転席に乗り込み、カードを入れてエンジンをかけた。
 一息ついたところで、キサキは、助手席にバッグとともに無造作に置かれた一枚の紙を見つけ、それを手に取る。それは、事件の直前に浄化教の信者から受け取ったビラだった。被害者の神埼が配っていたビラである。
 それに目を通して、ふと、彼女は引っかかるものを感じる。
「信者が増えるほど助かる確率が高くなる……」
 教主が科学者なら、守護の力が強まるなどとは言わないだろう。ビラに書かれた文章は、どう見てもオリジナルの浄化教のものではない。
 神崎裕美はオリジナルの浄化教の信者ではなかったのか。
「このビラ、少なくともオリジナルの浄化教のものではないと思うのだけど……」
 言って、シレールのために内容を読み上げる。シレールは、わずかな間考え込むような沈黙を返してから、応答した。
『湯月さんが嘘をついているとは思えないし、しばらく距離をとっていたって言うから、彼女が知らない間に何か異変があったというところかね。もともとオリジナルではなかったならば、わざわざ友人に紹介してオリジナルの信者を増やすことはないし』
「それじゃあ、犯人の立場は一体……。過激派じゃなければ誰が?」
『狙われているのを知って、鞍替えしたふりをしていたという可能性もある。それと、生贄、ってことで、過激派がやった可能性も残されているよ。生贄が喜ばしい名誉なことだとしても、皆死にたくないから、一番位の低いのを選ぶとか』
「確かに、オリジナルから鞍替えしたばかりだと位は低いだろうね」
 言って、エアカーを浮き上がらせる。
 闇に輝く街の光が、フロントガラスに映りこむ。その光景は一つの事件も、世界を襲うかもしれない危機もまったく知らぬげに、いつも通りの賑わいを見せていた。


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